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実家がなくなった

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実家

実家が解体された。生まれてから18歳まで住み、30年以上ここにあることが当たり前だった愛着たっぷりの場所が初めてなくなってしまったけど、あまり実感が湧かない。

築60年ほどになる家は、何度もリノベーションを繰り返し新しいわけでもなければ、そこまで古いわけでもなかった。建て替えをすることになったのは、ところどころ老朽化していたことももちろん大きいけど、一番の決め手となったのは日当たりの良い場所に仏壇が置かれ、ジメジメとした暗い場所に生活スペースのほとんどがある間取りと管理しきれない広すぎる空間だった。おそらくこういった間取りや広さは、豊岡に限らず地方の昔の家には多いのではないでしょうか。だから、これからの暮らしにここまで大きな家は必要がないというのは、家族全員一致の答えだった。

この日から「ただいま」と言える実家がなくなってしまった。そもそも、ただいまと言える落ち着いた家を持ったことが実家以外にはなかった。18歳で実家を出てからというもの、10回の引っ越しを経験し、アパートやマンション、戸建てと様々な家に住んだけど、今でも東京に住むのか豊岡に住むのかははっきりと決まっていない。いろんなところに住めて羨ましいと思われることもあるし、自分自身も身軽でありたいのでどこに住むのかを決めずにここまで来てしまった。でも、最終的に住む場所が決まらないのは、どうにも気持ちの面で落ち着かない。いったい自分はどこでこの先暮らしていくんだろうか。今は豊岡の古民家を改築していて、日に日にとてもいい空間になっていっているけど、直さなければいけないところが次から次へと出てきて、疲弊もしてしまっている。

以前は、実家があるから、親がいるから、というのが地元の条件だと思っていた。でも、墨田区は生まれ育った町じゃないのに、今は地元と言いたくなるほど住み慣れてしまった。引っ越してきた頃から地元の人にも本当によくしてもらって、生まれ育った町よりも知り合いは多いほどだ。

20年ぶりに戻ってきた豊岡はなんとも居心地が悪かった。でも、しばらく住むようになってみて、そんな感覚も徐々になくなってきて、実家がなくなった今頃ここは地元なんだなぁと思うことが最近チラホラ増え、実家のあるなしだけが地元を決める要素じゃない気がしてきた。正直、豊岡のことはほとんど知らないし分からない。同級生の名前も思い出せないことも多いし、今でも気軽に連絡を取り合える知り合いも少ない。車を自分で運転できない18歳まで住んでいた世界なんて本当にちっぽけなもので、豊岡の18年間よりも墨田区で暮らした7年間の方がよっぽど濃いものだった。

でも、そのちっぽけな18年間でもここを地元だと思う要素がたくさんあることに最近気づいた。それを気づかせてくれたのはやっぱり人だ。お店や建物、自然といったこの町を形作っている風景を守ってきてくれたのは、そこに住む人たちだというのは紛れもない事実だと思う。それがあったからこそ、こうして戻ってきたぼくが改めて地元を感じることができるんだと思う。

ある人がこう言っていた。地元の人は地元を守ろうとなんかしてない。でも、そのつもりがなくても住んでいることがその町を守ることに繋がるんだと。その言葉を聞いた時に、自分がこの町にいないことをとても虚しく感じた。だから、地元の人たちにその気がなかったとしても、この町で暮らし続けてきてくれたことに、ぼくたちは感謝をしなければならないんだと思う。

(2020.06.05)

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