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お米づくりを通して繋がる人と地域

たこまいらいふ萩原農場のしごと

たこまいらいふ萩原農場

千葉県の北東部に位置する香取郡「多古町(たこまち)」。

この町には、昔から湖や沼地が多いことから「多湖」とも呼ばれており、アミノ酸やミネラルを豊富に含んだ粘土質の土壌は、お米作りに最適な土地を形成しています。

このお米づくりに適した土地で作られる「多古米」は、もともとは縁故米として親戚などで消費されるお米として作られていたものですが、おいしいお米として少しずつ認知度が広まり、今ではブランド米として周知されるまでになりました。

しかし、もともと縁故米だったこともあり、多古米の流通量は千葉県内で作られるお米の中でたったの2%。非常に希少なお米であるとともに、多古町も他の地方と違わず人口減少の問題を抱えており、お米を作る農家さんも当然ながら少なくなってきています。

多古米が作られる多古町のことをたくさんの方に知ってもらいたいと、お米を通じた活動を続ける若手のお米農家さんを取材させていただきました。

たこまいらいふ萩原農場

東京から車を走らせ一時間ほど行くと、成田空港の案内板を目立つようになってくる。多古町は成田空港のすぐそばにある小さな町。誰もが知っている観光地があるわけでもないが、東京から一時間、成田空港のそばという抜群の立地の良さは、他にはない魅力の一つと言える。

たこまいらいふ萩原農場

そんな多古町で、親子二世代で多古米を作り続ける「たこまいらいふ萩原農場」。

先代の萩原敬史さんは、お米の他に養蚕や養鶏、タバコなど様々なことを手がける農家でした。しかし、お米づくりには多額の初期投資が必要であることから、いち早く機械を導入することで近所の方の仕事を請け負うことができると考え、徐々にお米づくり一本に絞るようになっていきました。

そして、長年に渡り多古米を丁寧に作り続けたことで、今では多古米グランプリで準グランプリを獲得するまでになりました。

たこまいらいふ萩原農場

敬史さんとともに、たこまいらいふ萩原農場の二代目として切り盛りする萩原宏紀さんは、就農して5年目。

大学卒業後、会社員として東京の不動産会社で1年半ほど働き、その後多古町にUターン。今では、お米を作りながら様々な売り先を開拓し、儲からないと言われる農業の仕組みを変えるために日々奮闘する萩原さんに、農家として家業を継ぐことにした経緯を伺ってみました。

「小学校の卒業文集を読み返すと、家を継ぐか卓球でオリンピック出るかの二つで、その時から農業を継ぐことは決めていました。でも、高校生の頃、うちでも世間でも農業は儲からないみたいに言われてて、なんで儲からないんだろうと思っていました」

農業は儲からない。

本当に儲からないのか、なぜ儲からないのか。その理由を知るため、そして仕組みを変えるため、大学進学の道を選択します。

「当時は、作って農協に卸して終わりのところがほとんどだったんです。だから、なぜ儲からないのかその仕組みを変えないと変われないと思い、作ったものを自分で価格を付けダイレクトに消費者に届く形を作るために、経済や経営を学べる農大の経営学部に入りました」

たこまいらいふ萩原農場

大学で経営を学んだ後、会社員として一般企業に就職。そのまま農業を始めるのではなく、社会を知るために一度は経験しておこうと思ったそうです。

「外の世界を全く知らないまま農家を継いでもだめだと思って、営業やビジネスマナーが学べる会社に挑戦するために、最初に受かった不動産会社に行くことにしました」

「オフィス賃貸の仕事だったので、いろんな会社の方と関われるし、部屋を探す人は社長や飲食店の料理人の方も多かったので、経営の話を聞けたりうちのお米使ってくださいと営業したこともありました」

会社へ十分な結果を残すことができるようになった2014年に退職。いよいよ、実家へ戻り就農することになります。

たこまいらいふ萩原農場

実家は、長男が継ぐケースが多いが、萩原さんは男三人兄弟の次男。それに、若い方の中には地元に愛着がない人も多いにも関わらず、この町に戻って農家を継ぎ、地域活動の道を選んだのはなぜだろう。

「地元が好きで家を継ぐためにいずれ帰るつもりではいましたが、不動産会社で結果を残しこれからのことを考えていた時に親が腕を怪我してしまい、帰ってきてほしいと切実に言われたことがきっかけになりました」

「そして、地元に戻った時に廃れ具合を間近で見てしまって、地域のことを考えるようになりました。むかし通っていたおもちゃ屋さんや、駄菓子屋さんのような思い出のお店がなくなったり、シャッター街を見て、すごく寂しくなったし危機感を感じ、誰かがやらなきゃだめだと思って、多古町のPRも兼ねてヤッチャバに出店するようになりました」

たこまいらいふ萩原農場

萩原さんにお米づくりのノウハウを教えてくれたのは、お父さんだ。2020年から経営を統合する予定だが、これまでお父さんとは経営を別にし、お米づくりは一緒に行うもののお父さんからお米を買ってそれぞれで販売するスタイルを取っていた。

これによりこれまで農協に卸す従来の売り方を変え、萩原さんが自分で売り先を見つけ全て直接販売をしてきた。

さらに、就農して1年後には東京・墨田区で行われているマルシェ「すみだ青空市ヤッチャバ」から出店の話をもらい、2015年からほぼ毎週土曜日に精米したての多古米と、近所の農家さんが作る多古町のお野菜を一緒に持ってきて自ら販売をしています。

「せっかくなら多古町で作ってる人たちの生活が豊かになればなと思ってはじめましたが、ヤッチャバで一緒に販売させていただくようになって、多古町の人とも接点がとても増えていきました」

ヤッチャバの萩原さんのブースに行くといつも人だかりができており、今でこそお米は毎回売り切れてしまうほどの人気を得るまでになった。しかし、ヤッチャバ出店当初は、なかなかお米が売れず苦戦もしたと言います。

「お米はイベントでは売れないんです。でも、毎週続けて出店するうちに少しずつ知ってもらうことができて、今はコンスタントに100kg以上売れるようになり、最近は売切れることも多いです」

たこまいらいふ萩原農場

多くの家庭では、いつも食べているお米がある。そんな日常のお米を別のものに変えてもらうことは難しいし、イベントで重たいお米を買って帰ってもらうのはなおさら難しい。それでも毎回売り切れるほど多くのファンを獲得するこのお米には、どんな秘密があるのだろうか。

実は、萩原さんが作る多古米には、土壌や水の豊かさ以外にも少しでも美味しいお米を食べてもらえるように手間がかけられています。

乾燥機は、熱で乾燥させるものが一般的だが、これだとどうしても仕上がりにばらつきが出てしまう。一方、萩原さんのところでは、遠赤外線乾燥機を使っているので、お米一粒一粒を一定に乾燥することができ、炊くときの水加減を気にする必要がない。新米は水加減を少なめに、と昔から言われるが、この乾燥機で乾燥された新米は、普段と変わらないお水の量で炊くことができる。

たこまいらいふ萩原農場

そして、お米は精米すると周りについている糠(ぬか)が酸化をし始め、これが原因で味が劣化していく。この糠を取り除くことで、1〜2週間経っても味がほとんど変わらず美味しさを保つことができるため、精米後に無洗米機に通し糠を取り除くひと手間をかけている。

さらに、その後に色彩選別機と呼ばれる悪いお米を判別し弾いてくれる機械により、お客さんの元には、見た目が白くて美しいのはもちろん、新鮮で長持ちする状態で届けられている。

しかもヤッチャバでは、毎週多古町から精米したてのお米を持ってきてくれるので、常に新鮮なお米が購入できるし、卸し販売をしている店舗には萩原さんが古くなったお米を定期的に取り替えに配達しているというから驚きだ。

たこまいらいふ萩原農場

多古米で作った甘酒。萩原さんのオリジナル商品だ

たこまいらいふ萩原農場

多古米と呼ばれるお米の基準は曖昧で、現時点では多古町で作られていることだけが条件だ。だから、萩原さんのようにひと手間もふた手間もかけて作っている農家さんもいれば、そうでない農家さんもいて、全てがこの品質とは言えないのが現実としてある。

多古米が今のようにブランド米として認知されているのは、先代たちの苦労や努力があり、それを自分たちが引き継ぎ守っていかなければいけないと萩原さんは言います。

「もともと多古米は、親戚に配るだけで消費されるお米だったんです。それをぼくらの親世代が千葉の各地に行き、一軒一軒家を回ってお米の宣伝をしていったことで、欲しいと言ってくれる方が増えて流通するようになったので、流通量に対して生産量が今は合っていません」

「それに、多古町で作られたというだけのものや、隣町の田んぼでも多古町の農家さんが作ったお米なら多古米と言えてしまうグレーな部分もあるので、ちゃんと認定された農家さんしか作れないようにして、安心して買ってもらえるようにしようという話もでてきています」

たこまいらいふ萩原農場

萩原さんは、以前お父さんがやっていた田植えや稲刈り体験を復活し、地元の子供たちやヤッチャバが開催されている墨田区の子どもたちを定期的に多古町に招待しています。

「多古町を知ってもらうことにもなるのと、あとは食育です。お米づくりを知らない子どもたちが多くて、むかし田植えや稲刈りをやったことあるだけでぜんぜん違うと思ってやっています」

先代が大切に築き上げてきた多古米ブランド。このお米を通して、町のことや魅力を知ってもらう。そして関わってくれる人を増やす。お米には、人や地域を繋ぐそんな役割があるのかもしれません。

「まちづくりをやっていく中で、人口減少は絶対止められないし、移住者を呼び込むことも難しい。それならば減少を緩やかにしたり、関係人口を増やすことはできるのかなと思っています」

「多古町は、農産物はあるけど、観光やコミュニティ、若者が集まるスペースがないので場所を作ったり、できる人を呼び込むことでどんどん変わっていくなと思いますし、少しずつそういった方も集まってきているように思います」

(2019.11.19)

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