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人生の節目を支える存在

えびすやのしごと

えびすや

コロナによって、さまざまな行事が自粛されてしまいました。

卒業式、入学式、結婚式、葬式、クリスマス、誕生日など、改めて振り返ってみると私たちの生活には、本当にたくさんの行事が存在します。

コロナによる自粛で、大きな痛手を受けた一つが花業界。町の花屋もコロナによって危機的な状況に陥り、せっかく咲いた花が使われることなく大量に廃棄せざるを得ないフラワーロスの問題も起こっています。

コロナからおよそ2年が経った今、町の小さな花屋は、現在どのような状況を迎えているのだろうか。

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日本国内で二番目に古い時計台「辰鼓楼」は町のシンボル

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京都、大阪、神戸から電車で約2時間。兵庫県の北部、日本海にもほど近い豊岡市出石(いずし)町は、小京都とも呼ばれる城下町だ。

国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、今も趣のある建物が大切に残されている。昔にタイムスリップしたようなワクワクとした町並みは、ぶらぶらと歩いているだけでも楽しい。

週末には多くの観光客がこの地を訪れ、町並みを楽しんだり、地元の名産である出石そばを堪能する、まさに観光地と言える場所だろう。

この町、唯一の花屋

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城下町を歩いていると、この町によく馴染んだ建物の軒先に、たくさんの植物が並ぶお店が見えてくる。

趣ある建物に色とりどりの花が並んだ空間には、お店の前を行き交う人たちが、思わず足を止めてしまう。このお店は、創業70年(花屋としては40年)になる町の花屋『えびすや』だ。

2代目が暖簾を引き継ぎ、今では店主が選んだセンスのいい花に、地元のお客さんや観光客のみならず、遠方からもSNSや口コミでこのお店を目がけてやってくる人も少なくない。

しかし、この花屋がなによりも大切にしていることは、地元に密着し地域に根付くこと。長年通ってくれる方や、地元で花を必要としてくれるお客さんにそっと寄り添う花を提供しています。

そんなこの町唯一の花屋さんに、お話しを伺いました。

食料品店からの転換

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味のある古い建具をガラガラっと開けて中に入ると、花の匂いがふわっと香ってくる。

少し薄暗い店内には、所せましと花が並べられ、それらをスポットライトが優しく照らす。都会的で無機質なデザインでありながら、昔からの建物をうまく活用したことで、懐かしさと温かみのある空間になっています。

えびすやは、もともと豆腐や果物などを売る食料品店から始まっているのですが、お店のラインナップの中に野菜の苗や種があったことが、今の花屋へと繋がっていくきっかけとなりました。

時代に合わせながら少しずつモデルチェンジを繰り返していくことで、お店の役割が食料品店から徐々に花屋へと移行していき、現在の3代目(花屋としては2代目)が引き継いだタイミングで花屋として大きく舵を切っていくことになります。

どのような経緯で今の形になったのか、えびすやの川尾昌弘さんにお話を伺いました。

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川尾さんは、豊岡市出石町生まれの出石育ち。

えびすやの長男として生まれ、花に携わってもう22年にもなるベテランだ。しかし、子どもの頃はもちろんのこと、25歳になるまで家業には全く興味を持っていなかった。

「漠然と他のことをしたいなと思っていました。嫌いだったわけじゃないけど、花よりも外で遊ぶ方が好きだったし、両親も好きなことをしたらいいよと言ってくれてました。でも、周りもそうですが意外とそう言って外に出ても、やっぱり帰って来ちゃうんですよね」

実家を継ぐつもりはなかったという言葉の通り、大学進学とともに地元を離れ京都へ。そして、大学を卒業した後も地元に戻ることはなく、滋賀にあるプラスチックの成型工場で製品の試作をする仕事に就きます。

「志のない青年だったので、とりあえず就職しようと思って選んだ仕事でした。仕事自体は嫌いじゃなかったし、むしろおもしろかったです。でも、人間関係のしがらみもあったりして、サラリーマン自体が自分には向いてないのかなと思っていたんです」

楽しくやりがいもあったはじめての仕事だったが、モヤモヤとした気持ちも抱えていた。そんなときに家業を継ぐきっかけにもなる、花との出会いが訪れる。

「知り合いに贈るお祝いの花を代表して買いに行ったんです。実家にあるときは思わなかったのに、そこで花って綺麗なんやなって思って、友達にプレゼントしたらすごく喜んでくれて、改めて実家の仕事っていい仕事なんだと思うようになりました。そこから花や植物が目につくようになり、花屋を継ごうという気持ちになりました」

このできごとが花屋に興味を持つきっかけとなり、新卒で入った会社を3年で退職する後押しになる。そして、実家に戻る前に一から花の経験を積むため、京都にある大きな花屋に修行で入ります。

「当時は、今みたいにオシャレで特化した変わった花ばかりを置くようなお店も少なく、なんでもするみたいな花屋が多かったです。修行先も大きな花屋で、ウェディングも、葬式も、小売りもしていました」

家業を継ぐための修行

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働いていた花屋は、ほとんどの従業員がいつかは独立していくような会社で、一生そこに骨をうずめる人は少なかった。

川尾さんも、いずれは地元に帰るための修行という形で入らせてもらったことで、とても厳しく花屋の仕事を叩きこまれたと言います。

「葬式やウェディングがメインの会社で、ひっくり返るくらいどでかい花を作ったり運んだりするのが新人の仕事でした。昔は葬式を外でやっていたので、雨でずぶ濡れになりながらやったり、上手にできなかったらなんやこれ!って花を抜かれたりもして。言ってもらえるのは目にかけてもらえてる証拠で、上の人もやらせてあげたいと思ってくれてるのは分かってたんですけど、それでもとにかく厳しくてきつかったですね」

「でも、仕事が終わってから練習させてもらえるのがおもしろくて。作った花を食堂のおばちゃんにあげると定食がタダになるとかね。そんなときも喜んでもらえるのが嬉しくて、この仕事っていいなと改めて実感する瞬間でした」

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川尾さんは、自分でも昔からよく叱られるタイプだったと笑って話すように、とても控えめな方で、修行先でもよく怒られたという。

しかし、実際に花束を目の前で作ってもらうと、顔つきがキリっと変わり、てきぱきと慣れた手つきで手を動かしていく。その様子を見ていると、厳しかった京都の修行時代に、みっちりと経験を積んできたことが伝わってくるようです。

最終的に京都の花屋で3年ほど働き、その後28歳で出石にUターンする。このタイミングには何かきっかけがあったのだろうか。

「ほんとはもっと修行したかったし、もう1軒くらい修行したいとは思ってました。東京も行ってみたかったですし。でも、父が体調を崩して母から帰ってきてくれと言われて帰って来ました。いつかまた出たかったんですけど、一度帰ってくるとそれはなかなか無理ですよね」

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こうして出石に戻ってきた。しかし、その当時のえびすやは、種苗(しゅびょう)店と言われる種と苗を扱うお店で、そこから少しずつ花屋へとシフトチェンジしているところだった。

そこに、川尾さんが帰って来たことで、葬儀の仕事に加えて、新たにウェディングなど大きな仕事も入ってくるようになりました。

花屋としての仕事はどんどん増え、加速度的にお店が変わりながらも、うまく事業を継承して順風満帆のようにも見えた。

しかし一方で、ウェディングや葬式の仕事は、安定した売り上げに繋がるものの、突発的で融通が利きづらく休みもほとんど取れない。

「葬式がほんと待ったなしで、大晦日と元旦のお葬式以外は、いつなにがあるか分からないくらい休めません。ウェディングも失敗が許されないですし、在庫もたくさん抱えてないといけなくて、とにかく忙しくて体を壊しました」

働きすぎて再び体調を崩してしまった川尾さん。そんなピンチを支えてくれたのは、家族やスタッフでした。みんなが一丸となってこの窮地をどうにか乗り越えたとき、これまでのやり方を続けていてはお店にとっても自分にとってもだめだと思い、小売りに専念できる体制に切り替えていく決断をします。

「売上度外視で一から変えようと思って、ウェディングも葬式も全部やめることにしました。売上は落ちましたけど、なんとか食っていける分はあったし、小売りにもお客さんにも集中できるようになって気持ちは楽になりました。入れすぎると質も下がるので、今考えたら断ればよかった話ですが、当時は断れない主義で絶対に断らなかったんです」

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昔の面影を残す天井と梁

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店名の由来にもなった七福神のえびす様のお面

これまでメインだった仕事を全てやめ、さらに小売りに専念できるようにと、2016年にはお店の大規模な改修工事も行いました。

「お店はいい意味で昔じゃない感じがあって、早く直したいと思ってたんですけど、踏ん切りがつかなくて」

「昔と比べてだいぶ変わりましたけど、雰囲気は残ってますね。デザイナーさんにも入ってもらって、壁は自分たちで塗りましたし、大工や設計士、電気工事などは全て地元の同級生と先輩が仕上げてくれたのもよかったなと思います」

お店の形態と雰囲気ががらりと変わったことで、SNSや口コミを通じて若い人や遠方からの新規のお客さんも足を運んでくれるようになり、これまでは地元の方が中心だったお客さんの層が少しずつ変わり始めていきます。

変わったことと変わらないこと

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こうして遠方からもわざわざ人がやってくる花屋になったものの、この出石町という町にとってはたった一つの花屋でもあり、地域にとっては欠かせない存在であることには変わりません。

お店の形態を変え、内装もリニューアルし、お客さんの層も徐々に変わっていく一方で、変わらないこと、変えたくないこともあります。

「この地域に花屋は他にありませんが、スーパーやホームセンターにも花はたくさん並んでるので、花屋が何軒もあるような感じですよね。だから、うちにはアレンジメントや花束とか、少し変わった花を買いにきてくれるお客さんが多くて、ホームセンターに置いてるようなものは、注文が入らない限りは自然と置かなくなっていきました」

「でも、小さな町だし、近所のおばちゃんたちもまだ来てくれます。墓参りで都会から帰ってくる人も多いので、お墓や仏事のお花をお寺さんに頼まれることもあります。この地域に一軒なので、地域密着でまずは地元のお客さんを大事にしたいですね」

店内を見渡すと、若い人たちに人気の花にまじって、神棚や祭壇に供える榊と呼ばれる植物や、菊の花も多く並んでいます。

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榊(さかき)は地元の山で収穫された長持ちするものを仕入れている

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ロゴの文字は書家である妹さんが書いてくれたもの

川尾さんが、こうして地元を意識するようになったのは、この町に帰って来て20年近くこの場所で花屋を営み、長年通ってくれる方の人生の節目を傍で見てきたからなんだそう。

「出産祝いのお花を渡した子が、大人になって成人式を迎えて髪飾りを作らせてもらったり、卒業式やプロポーズ、結婚祝いのブーケ、出産、還暦、亡くなった方のお供えの花と、生まれてから亡くなった後まで、いろんなところで使ってもらっていると思います。そういう意味で、節目節目のいろんな人生に出会えるのは、やっぱりすごいやりがいだし、嬉しいですよね」

「かっこよく言うと人生に花を添えるじゃないですけど、ほんとにそうなのかなって。しかも、地域密着でやっていると渡す方も渡される方も知っていることがあるのは、都会にはない感覚かもしれないです」

地元の花を使いたい

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この仕事をやっていて、一番の喜びは渡した瞬間に喜んでもらえることだと川尾さんは話します。

しかし、何十年もこの仕事に携わっていても、毎回100点を取ることはとても難しい。というのも、花には、大きさも茎の長さも、ひとつひとつに個性があり、同じものは一つもなく、仕入れによって大きく左右されるし、お客さんのイメージとのすり合わせを完璧にすることは難しいから。

そういった限られた状況の中で、どううまく見せることができるかが、花屋としての技術の見せどころ。そして、さらに重要なのが仕入れです。

花を仕入れるのは、市場を通じてが主流ですが、このあたりの地域には市場はありません。近い所でも車で2時間はかかる姫路や大阪になってしまいます。

そのため、市場へ行けるとき以外はウェブで画像を見て注文し、配送してもらう形になるそう。市場に足を運ばず仕入れができるのは便利な反面、色や形がイメージしていたものとは違ったり、なかには状態があまり良くないものが届いてしまうこともある。

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長年、失敗を繰り返しながら、どこの産地の花がいいかを見極める。これも花屋の大切な仕事です。

「やっぱり見て買いたいので市場にはできるだけ行くようにはしています。どれだけ情報収集してなんぼ詳しくても、直接には敵いません。ピンクでも思ってたピンクとは違ったり。花の顔の大きさはいじりようがないですしね」

イメージした花が仕入れられるかどうかは、仕上がりにも大きく影響することです。しかし、人件費やガソリン、高速代を考えると頻繁に仕入れに行くことは難しい。そこで考えたのが、市場ではなく個人で作っている近所の方がいれば、そこから直接買わせてもらい地元のものを使うということ。そうすれば、全ての花は揃わないにしても、ある程度は直接状態を見て買うことができます。

「近所で作ってる方から買わせてもらったり、キレイに作られてるところで分けてもらったりをやってはいるんですが、それでもなかなか取りに行くのも大変で。でも、今後は地元の農家さんから直接買う機会も増やして、こだわれるところはこだわりたいなとは思っています」

植物には当然ながら季節の旬がある。しかし、ハウス栽培などによって花を育てる技術が向上したことによって、野菜と同じように季節に関係なく楽しめる花も多くなってきています。そんな中でも、えびすやではその時期にあった旬の花を扱うことを大切にしています。

しかしながら、季節に合わせて選んだ花には、1年で数回しか市場に出荷されない数が少ないものもある。そうなると花屋がその花を扱えるのは、非常に限られたチャンスしかない。花の種類や特性を学んでいくのも一苦労だ。

「季節を大事にするのは特に重視したいところで、できるだけその時期の花を入れるようにしています。珍しい花や希少な花だとなかなか出会えず、名前を覚えるのも大変ですし、なくなっていくものもあれば、増えていくものもあります。京都で働いていたときに、最初にもらった本の1ページ目に『花は一生勉強であれ』と書いてあって、その通りだと思います。未だに分からないことがどんどん出てくるので、日々勉強しています」

旬もあれば当然ながら食品と同じく鮮度もあります。鮮度が落ちてしまったものは、売ることができずロスになってしまうため、季節の花を扱うというのは、当たり前のようで簡単なことではありません。

「花屋もロスとの戦いです。ダメになったら日の目を見ずに捨てるしかありません。可哀そうですけど、そのへんは商売なので割り切っていかないと、満足のいくものにしようと思うと、どうしてもロスは出てしまいます」

花が持つ力

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さて、冒頭でもお伝えした新型コロナウイルスは、花業界や花屋にとって大きな打撃でした。お祝い事で花を贈る機会は一気に減り、お店の売り上げは激減。生産者も花が売れずに残ってしまい、鮮度が過ぎた花は廃棄されてしまうフラワーロスに陥ったそうです。

しかし、新たな生活様式ができ始めた頃、巣ごもり需要の一貫として、観葉植物による癒しを求めるお客さんが増え、急降下した売り上げは徐々に回復していきました。

コロナによって、奪われてしまったものは大きかったものの、改めて考えさせられたこと、気づかされたことも多かったそうです。

「コロナになってガタンと売上が落ちたんですが、観葉植物や花瓶が全国的に売れ始めて、うちもお祝いの花が減った代わりに、そういった需要が増えたのは嬉しかったですし、ずっと下がっていく一方だとモチベーションが下がってしまうので、そのおかげで頑張れましたね」

「コロナでお墓参りのための帰省は減ってしまいましたが、地元の方はしっかりとされいて、東日本大震災のときもそうでしたが、大きなことがあるとお墓参りに行く方が増えるんです。観葉植物に癒しを求める方も増えたりと、植物や花には本当に力があって今回も植物の良さを改めて感じました」

えびすや

コロナによって世界は変わってしまったかもしれない。

でも、町の花屋さんはこれまでもこれからも、地域で暮らす方々の人生の節目をそっと見守る存在であることに変わりはありません。

そんな方が町にいてくれることは、とても心強く感じます。

 

撮影:だしフォト

店舗名 えびすや
住所 〒668-0225 兵庫県豊岡市出石町八木38-1
URL WEB
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(2021.12.11)

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