のしごとのトップ / 肩書を持たない場所 (とゞ兵のしごと)

肩書を持たない場所

とゞ兵のしごと

とゞ兵(とど兵)

ぐるりと山に囲まれた、のどかな田舎町。
豊岡市は、兵庫県の最北端に位置する。

穏やかな空気が流れるこの町の一角に、異様な存在感を放つド派手な建物がある。

一階にはお店が並び、買い物や飲食を楽しむ人もいれば、その奥へと入っていくのは、若者からもっと上の世代まで。幅広い年代が建物を出入りする。

看板には「とゞ兵」と掲げられている。なんて読むのだろう。そして、この建物はいったいなんだろうか。

謎の複合施設「とゞ兵」を訪れました。

とゞ兵(とど兵)

ちょっと怪しい建物に、おそるおそる足を踏み入れてみる。すると、奥からヒゲとロン毛の男性が現れ、ニコニコと笑顔で出迎えてくれる。見るからに怪しい。

しかし、実はこの建物の再建を担う最重要人物だ。

見た目のギャップに反して、とても柔らかい物腰が印象的で、逆にそれにもまた怪しさを感じてしまう。しかしながら、一度話をしてみると、帰る頃にはすっかりその人柄と器の広さに虜にされてしまう人も多いだろう。

今回は、この謎の建物を管理・運営する小山俊和さんにお聞きします。

かつての料亭

とゞ兵(とど兵) とゞ兵(とど兵)

名前の由来にもなったとど

この建物はなんでしょうか?

「ここは警察署が立っていた跡地で、建物の前の橋を境にこちら側が武家屋敷。向こうに見える神武山という山には、京極家というお殿様の城がありました」

「当時、京都でビジネスをやっていた中江種造(なかえたねぞう)さんという方が、豊岡で遊ぶ場所としてこの土地を購入し、京都の料理人を連れてきて、もともと別の場所にあった松和亭という料亭をこの場所に引っ張ってきてはじめたのが、とゞ兵です」

1929年に建築されたとゞ兵(とどひょう)は、元料亭。鉱山を買収し、巨万の富を得て鉱山王とも呼ばれた中江種造さんが、自身の社交場として作ったこの場所は、当時の政治家や医者も利用するほど格式高い料亭だった。

目の前には、川が流れ船乗り場があったことから、屋形船に芸者さんを乗せてここまでやって来ては、夜な夜な大騒ぎをする。それがこのあたりのステータスだった。またこの時代は、物の運搬に川が使われていたことから、物流拠点にもなっていた。

建物に入ってすぐのところには、大きな「とど」のはく製が今でも飾られており、これが「とゞ兵」の名前の由来。料亭のシェフを務めていた和田兵助(ひょうすけ)さんという方が、見世物として「とど」をはく製にして飾ったことから、とゞ兵とあだ名で呼ばれるようになり、そのまま屋号になったと言われています。

料亭の衰退

とゞ兵(とど兵)

とゞ兵の横を流れる川

しかし、料亭として84年間続いたとゞ兵も、代替わりなど時代の変化とともに料理の味が低下し、次第に客が離れ下火になっていく。

そして、大きな建物の維持が難しくなり、約10年ほど前から賃貸で建物を他の会社に貸し出し、そこから割烹というスタイルに変わった。

「建物の歴史は約94年ですが、割烹というスタイルで8年間ほど運営していたので、料亭として稼働していたのは84年間だと思います」

「料亭のあとは、定食屋をしたりたこ焼きを店先で売ったり、そろばん塾をしたり。一流の料理を振る舞う特別な場所が、料理の質で売らない料亭とはかけ離れた場所になってしまい、地元の人は来る理由がなくなりどんどんダメになっていったそうです」

料亭を買った男

とゞ兵(とど兵)

それでは、この建物の歴史を詳しく語ってくれる小山さんは、いったい何者なのだろう。

とゞ兵の管理・運営を現在担っている小山さんは、埼玉県和光市の生まれ。今でも、埼玉県に拠点を持ち、豊岡と行き来しながら本職である建築業で、忙しく全国を飛び回っている。

建築と言っても、いわゆる壁紙を貼ったり家を建てるのではなく、店舗内装の家具や什器、ディスプレイ、デザイン什器を作って納めるのがメインの仕事だ。

高校生の頃、コンビニの施工を請け負う親戚のおじさんの会社を手伝いながら、独学で技術を学んだ。日本全国を回りながらコンビニの図面を書き施工を行いながら、自分でも会社を立ち上げたのが今の仕事というわけだ。

「従業員は2人いて、東京でゼネコンの現場に毎日入っていて、従業員の給料や生活費といったランニングコストは本業で賄えています。ものすごくコンビニが伸びてた時期に僕らも乗っからせてもらって、それでできた資本で次の段階として始めたのが、この場所です。とゞ兵の事業は、家賃収入がメイン。入る分で改修を行うプラマイゼロ事業です」

現場を従業員に任せつつも、小山さんはメインクライアントである、アパレルのハイブランドの施工で海外出張も多かった。しかし、コロナでデパートが止まってしまった影響で、埼玉の事務所との行き来も減ってしまっています。

「基本ゼネコンの仕事は無くなることがほぼないし、建築は横の繋がりがすごく強くて、家具なら僕に注文する流れができてます。注文があれば家具屋さんに発注をかければ現場は動くから、豊岡にいてもできないことはありません。図面を書いたり、指示出し、デザインといった動きは続けてるので、何もしてないように見えて、実はずっと事務作業をしています」

「ただ、今までの店舗内装や什器の仕事は、向こうにいない分やっぱり減ってます。次の仕事の話が決まるのは現場だから、どこかのタイミングでちゃんといる人にならないと回らなくて、やっぱりいるって大事。でも、ここを再生したことで、似た案件の相談も出てきて、予算は全く違いますが、少しずつこっちの仕事も増えてきてます」

とゞ兵、再建計画

とゞ兵(とど兵)

およそ1,000㎡の敷地を有する

とゞ兵の再生が始まったのは今から4年ほど前だが、小山さんがこの地域と関わりだしたのは、およそ20年になるという。

そのきっかけは、奥さんの出身地が豊岡市だったことと、とゞ兵が親族であったことだ。

「この町に来るたびに、盆や正月にただ帰るだけじゃなく、ここでも商売したいのがあって、土地や物件がないかなと街をリサーチしてたんです。夏は海、冬は雪、セカンドビジネスとして拠点を持つのもいいなと」

「物件を1~2年探してたら、ここも取り壊し計画でコンビニにしたいと、4年前に相談を受けました。それで1度見学に来てみると、確かに電気も止まってて、ごみだらけ。でも、この部屋に着いた時に、まだ使えるんじゃないかなと思ったんです」

とゞ兵(とど兵)

大宴会場からの眺め

誰もが見放しかけていた建物。コンビニのような業態に生まれ変わるしかない状態だった。

しかし、歴史ある建物は、空き家になっていたとは言え、見ず知らずの人に簡単に譲ることができるものではなく、できれば親族の誰かに活用してもらいたいという想いも残っていた。

そんな中で遠い親族であったこと、そして全国を飛び回りコンビニの出店サポートをしてきた小山さんだからこそ声がかかった。

「当初は、取り壊してコンビニやコインランドリーにする計画で、それなら僕はやらないと。でも、建物を残す意思があるなら手伝いますという形で関わり出し、一人でここの掃除をしながら、町の人に話を聞いて回ったんです」

「すると、いい意見と悪い意見があって、いい意見は結婚式をした想い出の場所ですとか。悪いイメージだと建物が古すぎて崩れそうな危ない物件だみたいな。別のところが運営していた時期もあり『昔のとゞ兵じゃない』といったイメージも強かったようです」

とゞ兵(とど兵)

建物の片付けや町の人の話を聞いて回りながら、この場所のことを調べていく。すると、壊すほど傷んでいないことや、広さや立地的にビジネスの可能性があることに気がつく。

しかし、これだけ大きな建物を一人で運営することは難しいため、資金力のある企業パートナーを探し始めます。

「こんなでかい物件できないし、僕は自分のビジネスがあったので、管理運営は任せようと資金力のある企業にお願いして回ったんです。もし活用するならちゃんと回るビジネスにしないといけない。それこそ料亭じゃない」

「その頃、古民家をホテルにする事業が流行ってて、改装も含めてお願いできる会社と話が進んだので、ここを買ったんです。ところが、その会社が突然辞退してしまって。もう買っちゃったし、こんな大きな建物を再生するには資金力がないとできないので、正直まいったなと」

ようやく見つけたパートナーだったが、突然の辞退。しかも、建物の取得後だったので、引き返すこともできず、一人でこの大きな建物を運営しなければならない事態に陥ります。

そこで考えた戦略は、活かせるものは活かし、そして関わる人を増やしていくことで、多くの人の力でこの場所を回せる仕組みづくり。

「最低限の運営ができるよう活かせるものは活かす。それなら費用もそこまでかからず、個人でもできるかなと思いました。それに、道に面した手前側の建物は自分で運用するつもりで、カバン屋さんやレストランを誘致したり、自分でカフェをはじめたのは、当初のプランでした」

「一方で奥の建物は、任せる予定でプランはありませんでした。そこで、活用方法をいろんな人に聞くと、会議や宴会で使いたいと。そういう需要があるならそれからはじめてみて、使われていけばやってくれる人が出てくるかなと思ってはじめたところ、どんどん利用者が増えて、自分でやらなくても回り始めました」

兵庫県景観形成重要建造物

とゞ兵(とど兵)

最低限の運営ができる設備を整える形で始まった、とゞ兵プロジェクト。

しかし、これだけの建物となるとやはりそれなりの予算はかかる。また、さまざまな評判のあった建物だけに、街にとってどれだけの価値があるのかは、小山さん自身も分からない部分があった。

そこで建物の価値を向上させるべく、『兵庫県景観形成重要建造物』に申請をし、2021年1月におよそ90年の歳月を経て、適切な保全や維持管理ができるよう認定を取ることができた。

「僕は生きて100歳まで。でも、建物はもっと保てるから、次を考えて再生すべきだと思い、認定を取りました。市、県、国が保全しようという方向になれば、補助も入りやすくなります。ただ、その代わり耐震が必要など直さなければいけない責任も生まれ、逆に負担になる場合もあります」

「だけど、どこか引っかかるポイントがいっぱいあって、その中で市のトップである元市長から大切な建物だと言ってもらえたのが、僕的にもすごく安心感があって。そこが全く違う方向性だったら、もしかしたら頑張ってここを使おうとは思わなかったかもしれないです」

とゞ兵は、まだまだ耐震補強が足りない部分があり、今もまだ工事が進められている。その一つが、学生と一緒に建物を直すプロジェクトだ。

学生との取り組み

とゞ兵(とど兵)

とゞ兵の再生に大きな力となっているのが、現役の大学生。

さまざまな大学から学生たちがやってきて、研修を兼ねて建物の片付けや改修を手伝っている。

どのような形で学生との取り組みが始まったんだろう。

「僕はロン毛にヒゲで詐欺師っぽい。裏がありそうに見られますが、学生さんなら町が応援してくれて、みんなが教えてくれる。だから、ボランティアサークルの知り合いに相談して、それから来てくれるようになったのが、青山学院大学と芝浦工業大学、日本大学の学生さんです」

耐震補強は、素人の学生でも大丈夫なのでしょうか?

「建築士さんから管理指導があって、それ通りやれば問題ありません。こういう建物の耐震の考えは、そもそも絶対に崩れないから大丈夫というわけではなく、揺れたときに逃げる時間を作るためなんです」

料亭から複合施設へ

とゞ兵(とど兵)

とゞ兵は、料亭から割烹に変わり、そして小山さんの手に託された。

当初はコンビニに建て直す計画から、建物を活かした古民家ホテルの話で進んだものの、今は全く違った使い方の複合施設として生まれ変わろうとしている。

今もまだ改修は続けられており、取材中もどこからともなく工事音が聞こえてくるが、既に稼働が始まっているスペースも多い。およそ1,000平方メートルあるこの広い建物が、現在はどのような形になり、どのような使われ方をしているのか一つずつ見ていきたいと思います。

とゞ兵(とど兵)

まず、建物の顔となる入口部分に設けられたのは、クリエイターズコーヒーショップ「todo bien coffee(トドビエンコーヒー)」。

小さなコーヒースタンドでありながら、店内には、カバンやアート作品、服飾雑貨などが所狭しと並ぶ。作品を見ながら店内でドリンクを楽しんだり、お菓子などの軽食も楽しむことができる。また、定期的に企画展やポップアップショップなども開催しています。

用事がなくとも立ち寄れる『近所の寄合所』のような場所で、コーヒーを介し、そして作品を通じて、人と人が自然と繋がれる場所になっています。

とゞ兵(とど兵)

そして、todo bien coffeeの脇にある階段を上がっていくと、踊り場のようなスペースが現れる。ここは、作家やアーティスト、クリエイターたちが作品を展示・販売できるギャラリースペース「HIDE OUT GALLERYallery(ハイドアンドギャラリー)」。

小さなスペースではあるものの、小山さん自らが最初に改修を手がけた場所がこちらなんだそう。

後述するコワーキングスペースや大広間へのアクセスもここを通っていけるため、たくさんの人の目に触れる場所で、1階と2階でさまざまな作品を楽しむことができる。

Maison Defとゞ兵(とど兵)

続いて、todo bien coffeeを挟むように路面店が2つ並ぶ。こちらはとゞ兵のテナント店舗だ。

向かって左側は、地場産業でもある地元のカバン屋さん「Maison Def(メゾンデフ)」。そして右側は、イタリアンレストラン「Wine and Kichen S (ワイン アンド キッチン エッセ)」。

どちらも専門店に賃貸物件として貸し出し形で入居してもらっているが、どのような経緯で始まったのだろうか。

「カバン屋さんが一つ欲しかったので、まずはカバン関係の人に片っ端から声をかけました。そのときに腰据えてやると言ってくれたのが、Maison Defさん。そのときから異彩を放ってたので、しっかり一本立ちしてますよね」

入居するテナントは、基本的には入居者負担で改修を行っている。費用がかかってしまう分、自分の好きな内装にできるメリットもあるし、建物のあるカバンストリート宵田・元町地域は、『まちなか再生支援事業』に認定されており、県の支援も受けられている。

「改修費は、全て借主負担です。お金の余裕があってここを買ったわけではないので、現状渡しでやりたければ自分で直してもらいます。いい距離感が大事で、友達みたいなところから入ると責任が出てくるので、ある程度になったら感情が入り過ぎないよう、大家さんと店子さんの関係以上を超えないようにします」

とゞ兵(とど兵)

続いて、建物の二階へ上がり、一番奥へと進んでいく。薄暗い廊下のふすまを開けると、そこには開放的な広い大宴会場が広がります。

ここでは、イベントなどで使える場所としてスペース貸しを行っていて、これまでにも音楽イベント、セミナー、ワークショップ、宴会、ヨガ教室、講演会といったさまざまなシーンで利用されています。

大勢が集まるイベントや、お酒を提供するイベントにはトラブルは付き物ですが、そういったことはないのでしょうか?

「今のところありません。歴史的建造物なのでダメージがあったら賠償してもらう承諾書をもらってるのと、結構ルールを設けています」

「例えば、グラスは置いたらすぐに回収するシステムにするとか。だから、意外にちゃんとしてくれてます。都会のイベントだと喧嘩も結構ありますが、ここだと一度もないですね。泥酔して寝てるくらいはありますけど(笑)」

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さらに、大宴会場と同じ2階にあった個室は、コワーキングスペースやワーケーション用の賃貸住居スペースに生まれ変わった。

コワーキングスペースは、時間貸しで一日だけ、数時間だけ仕事をしたい人が借りることができたり、スペースを貸し切ってイベントやセミナーを行うこともできる。

また、ワーケーション用の賃貸スペースは、1か月単位で申し込むことができ、最長で6カ月間ここに居住することができる。都会から一時的に豊岡へ働きに来ている人が住みながら働いたり、建物の改修に関わってくれている学生や、イベント参加者など、さまざまな人がこの場所を活用しています。

とゞ兵(とど兵)とゞ兵(とど兵)

お風呂やトイレの水回りだけでなく、机や布団などの設備もあるため、着替えだけ持ってくればすぐにでも住むことができる。

現在、オフィスを構えている事業者が2社、コワーキングの会員が7事業者となっており、オフィスは既に満室になっているほど。近隣にはこのようなスペースがほとんどなく、地域住民はこのような場を待ち望んでいたのかもしれません。

どういった方が利用しているのでしょうか?

「業種は、街づくりからIT系、人材育成など、さまざまな人たちに利用していただいてます。観光で県外からの人、地元の人、移住者の人が、ちょうどいい割合で来ていただいてます」

とゞ兵(とど兵) とゞ兵とゞ兵(とど兵)

再び1階に降りていくと、中庭に面した部屋は、「DIY DOKORO台所」と呼ばれるシェアキッチンに生まれ変わった。

取材時は、同市内にある城崎温泉の小林屋さんがここで『釜飯屋』を期間限定でオープンしており、名店でしか食べられない味がとゞ兵で味わえる手軽さに、連日多くのお客さんが利用していました。

「事業者さん向けの通常賃貸は基本エンドレスですが、他のスペースは期限を切ってます。それは、方向性が変わる可能性があって、一年後や半年後にもしかしたら変わってるかもしれなくて、その時にごめんなさいと言えるようにしています」

「例えば、シェアキッチンはもともと料理教室とかで使ってほしかったので、不特定多数が使えるよう飲食店営業許可を取ってなかったんですが、利用者があまりいなくて特定の人の利用が多かったから取ったおかげで小林屋さんのような方に使っていただけるようになりました。こんな風に半年ほどでプランが変わることはよくあります」

NGがほとんどない施設

とゞ兵(とど兵)

シェアキッチンから外へ出てみると、そこには全ての建物の中心的な場所である中庭が広がる。

多くの人が集まって交流をしたり、マルシェなどのイベントが開催されることもあれば、気の合う仲間が集まって音楽を聴くだけの会や、バーベキューを楽しむことだってできる。もはや建物全体としてはなんでもありの複合施設で、まるで肩書のない場所だ。

「こんなことできますか?」と、小山さんに尋ねれば「いいよいいよ、やってみようよ」と軽い返事で、そっとやりたい人の背中を押す。あまりにも許容が広すぎて心配になってしまうが、なにかNGなことはあるのだろうか。

「普通はいろいろありますが、それは自分のイメージがちゃんとある人。そもそも僕は自分がメインでやりたくなくて、みんなで使ってもらいたかったので。なんでも独りよがりから始まりますが、利用者がいないと独りよがりで終わってしまう。やっぱり独りよがりの先は利用者さんです」

「だから、とゞ兵だからいいよねとか、この場所と一緒に自分も盛り上がりたいという共通点があれば、基本OK。利用の仕方にある程度の説得力があればいいと思います。スタートアップの人が多いので、ブーストする場所みたいなイメージで使ってくれるといいのかな」

コンサルタントではなくサポート

とゞ兵(とど兵)

とゞ兵を再生させた小山さんの元には、近隣の施設やお店から新たな依頼が舞い込んでいる。この町をもっと楽しくできないか、そんな相談が徐々に増え、さまざまな人とタッグを組みながら、新しい事業にも積極的に取り組んでいる。

特にこの地域は、観光で栄えた町。北に行けば海があり海水浴ができる、山にいけばスキーやアウトドアが楽しめる。

しかし、近年レジャー人口も減り、地域としての魅力も減少している中で、小山さんはこれまでの経験を活かし、空き店舗や空き施設を再活用した新たな事例を生み出している。

例えば、夏になれば一気に盛り上がる浜辺も、それ以外の時期は閑散としてしまう。スキー場も同様。そんな場所のポテンシャルを活かしながら、これまでなかった『音楽』や『食』を持ち込み、今までとは違った集客の方法を試みようとしているのだ。

「豊岡での事業は、イベント企画運営や空間演出を受けて、年間通して携わっています。ただ、あくまで既にあるものの使い方を変えているだけ。経験と知識を使って、他の会社さんを盛り上げてあげるとか、整えてあげるのが役割で、要はパートナーです」

とゞ兵(とど兵)

小山さんの手法には、音楽・食・物販を絡めたイベントが多い。これにはこれまでの人脈や経験が生かされていると言います。

「そもそもイベントにはずっと関わってきてたから、アーティストがバンバン来てくれるのも全て友達です。本業は建築だけど、別の仕事はイベント関連業務だから、自分で出店することもあれば、アーティストさんと一緒にフェスや会場づくりもする。そういったサポート業務は、ずっとやってきてることなんです」

多くの期待の声が寄せられますが、町からの期待はプレッシャーにはならないですか?

「この町を盛り上げるなんて大それたことだし、重荷だなと思います。僕は、単に友達を呼んでる感覚なんです。集客のプレッシャーも少しはあるけど、友達がたまたまアーティストとして頑張ってるだけだし、そもそも何千人も入る場所はなくて、この町サイズの集客しかできないので、あまりプレッシャーはないですね」

都会から程よい距離感

とゞ兵(とど兵)

この場所に小山さんが関わり出して4年。
当時からは想像ができないほど劇的な変化を遂げました。

「最初、こういう風に使いたいとプレゼンしたことがあって、ほんとに今のこの感じです。夢みたいな話だったけど、現実になってきたから言ってみるもんだなって」

「その当時、ゴールで設定した時の70%くらいまではきました。でも、70%って中身がゼロベースから目指してなので、そこから先のこととかもっと豊岡が盛り上がるにはまだまだだと思います」

70%まで成功できた理由はありますか?

「いろんな人に任せたからですね。70%まで自己資金だと10年くらいかかる覚悟でいたけど、この1~2年で関わってくれる人が、一気に増えて一気に良くなりました。増えなかったらこうはならなかっただろうし、関わってくれる人がいっぱいいたから甘えれたし、使ってくださいと言えました。もともとオフェンシブなタイプではないし、ボロボロじゃんって自分でも思ってるので」

とゞ兵(とど兵)

小山さんは、この町とこの建物のどちらに魅力を感じたのでしょうか?

「半々くらいです。埼玉は何もないし、都会に近すぎて周りに強敵が多く何かやるのは難しいです。豊岡は何もないって言われますが、自分が楽しむ場所としてならこの町はおもしろい。海はきれいだし、スキー場にすぐ行ける距離感もすごい。個人としては楽しめる町だと思います」

「だから、豊岡がもう少し都会に近かったら、今やってることはうけてないかもしれなくて、都会といい距離感なのがここに来た理由でもあります。都会ではアンダーグラウンドでも、こっちだとすごくいいものカッコいい場所に変わるのを感じていて、都会で煙たがられてた人も、地方だと輝けたり重宝される。ここなら日本でしかできないおもしろいことができると思いました」

田舎は田舎でも、楽しみ次第では十分に楽しめるコンテンツが豊富にある。しかし、長く住んでいる人にとって、それはありきたりなものになってしまっていて、どうしても都会へと足は向いてしまう。そうした意識も変えていきたいといいます。

「ないものねだりですよね。でも、僕もたまに東京に帰ると楽しいし、子どもも喜ぶし、買い物も便利。こっちの人が海に行かない理由も分かります。だから、都会で見られるコンテンツがこっちで見られるのは価値があることだと思っています」

「何もない町だけど、有名な人が来たとか、こんな壁画があるって、若い子たちが外に出て自慢してくれているんです。そしたら都会の人の反応も変わってきていて、そのための入口なのかなここは」

自分みたいな偽物ではなく本物に来て欲しい

とゞ兵(とど兵)

多様なおもしろい人たちを受け入れ、この場所を使ってチャレンジしたい気持ちを後押しする小山さん。

その懐の広さは目を見張るものがあるが、意外にも大勢でワイワイ盛り上がることは苦手なんだそう。

「実はあんまり人は好きじゃなくて、どちらかと言うと少人数でいる方が心地いいんです。ただ、今は商売上できないだけで、いずれは自分の出番を無くしていきたい。とど兵イコール小山ではなく、とど兵イコール誰々さん。ここはそんな場所になっていってほしいです」

「そして、もっといろんな人がこことの関りを強く持ち、事業を成功させたり、プロモーションするために、ここを活用してくれるのが望みです。僕なんか古民家再生や街づくりを本職でやってきてない『偽物』だからこんなんだけど、ちゃんとした『本物』が運営したらもっと良くなるし、もっとすごいことができるはずです」

たくさんの人を巻き込みながら、かつての料亭だった頃の賑わいを取り戻しはじめた、とゞ兵。

たとえ中身がガラリと変わってしまったとしても、建物を取り壊さずに活かし続けることで、刻まれてきた歴史はこの先も残っていくはずです。

地域の持つ価値を活かすのも、そのままほったらかしにするのも、壊して別のものにしてしまうのも、それはそこで暮らす人たち次第かもしれません。

 

撮影:だしフォト

 

店舗名 とゞ兵
住所 〒668-0033 兵庫県豊岡市中央町18−1
URL WEB
Instagram
(2022.08.16)

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