のしごとのトップ / 蜂が気づかせてくれたこと (y&y honeyのしごと)
人生には、知らなければ疑問に思わず、過ぎ去っていってしまうことがたくさんあります。
でも、きっかけさえあればいろんなことを知れるし、それによって新しい世界が開くかもしれません。
y&y honey(ワイワイハニー)という名前で活動をする鈴木義明さんは、蜂と出会ったことで人生が変わった一人。自分が蜂と出会ったことで知ったことを誰かに伝えたり、知るきっかけ作りをしたいと、蜂を通じた活動をしています。
鈴木さんの元へ、蜂が運んできてくれた新しい人生とはどんなものだったのか、お話を伺ってみたいと思います。
鈴木さんは、鉄を加工し階段や階段の手すりなどを作る鉄工所の社長。製造だけでなく、現場の取り付け作業までを行い、たった一人でこの工場を切り盛りしています。
そして鈴木さんには、もう一つの顔がある。それが養蜂家だ。
自宅の屋上をはじめ、地方のいくつかの拠点に養蜂場を持つ。蜂の飼育を初めておよそ13年となった今では、たくさんのハチミツを販売できるまでになり、とても片手間でやっているとは思えないほどの規模だ。
鈴木さんのことを知っている方は、鉄工所の社長というよりも、養蜂家としてのイメージが強いかもしれません。
鉄工所とハチミツは、関連性が全くないようにも思うが、どういったきっかけで蜂と関わるようになったのだろうか。
「始めたきっかけは単純で、友達にやらないか?って勧められて。屋上でハーブや野菜を育てるようなことはやっていましたが、そこに蜂がいるとおもしろいよって言われたんです」
鈴木さんのもともとの夢は、鉄工所の社長でも養蜂家でもなく、写真家だった。
賞を取るほど写真にのめり込んでいたが、20年前にお父さんが亡くなったのを機に、写真の道は諦め工場を継ぐ決意をしました。
「20代の頃は写真をやっていて、作家みたいにあの頃はなりたかったんだよね。築地の魚河岸で働きながら写真を撮ってて、それが写真のコンペで受かったりもしたけど、そしたら親父が死んで。鉄工所の仕事が嫌で逃げ回ってたんだけど、遊んでらんなくなって帰ってきて、写真とか全部やめて鉄工所を一からやり始めました」
鉄工所の仕事は、なぜ嫌だったんでしょうか。
「単純に親父が油だらけになって汚れてる姿がかっこいいと思わなかった。でも、実際自分がやるようになってこんなにおもしろいことはないし、好きに作れる楽しみがある。それは今になって感じますね」
鈴木さんが鉄工所を継いだのは2000年。
お父さんからノウハウを教えてもらえないまま鉄工所を引き継ぐことになり、大変だったのは想像に難くない。その頃は、まさにバブルがはじけた後で業績も悪かったが、地道にコツコツと仕事をこなしていったことで、2006年頃には景気も回復し、数人の従業員を雇えるまでに業績は回復した。
しかし、そこから2008年にはリーマンショックが起こり、回復した売上も半分以下にまで落ち込み、働いてくれていた従業員の方にも辞めてもらう苦渋の決断をすることになります。
そして、どうにか細々と鉄工所を続けていたが、CADを使った図面から見積もり、制作まで全てを一人で手がけていたので、一日中工場で働きっぱなしの生活だった。そんな時に唯一の楽しみであり、遊び場だったのが屋上だ。
「今まで自由にやってたけど、工場を継いでからは外に遊びにいけなくなって、誰とも交流がなくなりました。仕事を夜遅くまでやってくつろげるのは屋上だけで。それでここをきれいにしようと思って、東屋やフェンス、階段を作って、だんだん屋上庭園を始めた流れで野菜を作ったり。ここで遊ぶのが唯一の楽しみで遊び場だったんですね」
屋上庭園にのめり込んでいったちょうどその時、友人の誘いで長野を訪れ、そこで蜂と出会う。
「友達が長野の実家で養蜂をやってて、遊びに行ったんだよね。ぜんぜん興味はなかったけど、ハチミツがすごい美味しかったんです。その時に雑誌でハチミツの連載をやらないかと誘ってもらって、結婚を機に夫婦で連載を始めました」
蜂を育てるには、まずは養蜂業者から蜂はもちろん、必要な道具が揃ったキットを一式買うところから始まります。こうして鈴木さんの養蜂は、雑誌の連載とともにスタートしました。
それにしても、道具が揃い場所があるからと言って、素人が簡単に養蜂なんてできるものなのだろうか。
「できる気がしたんですよね。今は離婚してしまったけど、当時は結婚したばかりで楽しくて行っちゃえみたいな勢いがありました。届け出を都に出して許可さえ出れば誰でもできるので、販の養蜂に関する本を読んで最初はやってて、さわりしか書いてないので、蜂の調子が悪くなったり、数が増えなくても意味が分からないんです。ハチミツ自体も始めて一カ月くらいでいっぱい採れるようになりましたが、わけもわからず採ってたら、水気が多くて発酵しちゃって」
「そういった原因がどの本を見ても書いてないんです。それで養蜂協会に問い合わせをしたら、たまたま駅の向こう側にベテランの人がいて、運よくめんどう見てもらえることになって、3年くらい付きっきりで見に来てもらって教わりました」
現在、江戸川区にある自宅屋上で採れるハチミツの他、千葉県市川市、静岡県富士市、奥多摩などにもご縁のあった方のところで巣箱を置かせてもらっていて、その年によって波があるもののおよそ500kgほどのハチミツが採れている。
採蜜する場所や時期によって咲いている花の種類が違うので、地域ごとにハチミツの味わいや香りは全く違う。場所はどのようにして選んでいるんだろう。
「蜂は育てること自体もおもしろいし、場所によっていろんな味になっていくのがおもしろいんです。屋上が手狭になり別に場所を借りて大きくやってますが、目黒のセレクトショップに久しぶりに顔を出して蜂の話をしたら、近くのギャラリーを紹介してくれて、そこの旦那さんが奥多摩でカヌーをやってる方で置けるようになったり」
「巣箱を置く場所はこうしたご縁のある人のところで、アカシアが採りたくてもアカシアがあるところに自由に置けるわけではないんです。協会のしきたりや手続きがいろいろあった上での蜜だし、そういうご縁があってこそというのがまた楽しくて」
場所を増やそうと思って増やしているのでは決してなく、たまたま出会ったご縁が繋がり、場所が決まっていく。そんなご縁のあった場所に頻繁に通うことも、出会った方と一緒に何かをやるのも、楽しみの一つなんだという。
もしかするとこのご縁も蜂たちがそっと運んでくれているのかもしれません。
ハチミツが採れる時期は、4月~7月くらいまで。この採蜜時期には、自宅屋上に一万匹以上の蜂が飛び回り、鈴木さんも各地の養蜂場を飛び回る生活になる。
これらの蜂は、どこからか自然と飛んでくるわけではなく、鈴木さんが飼育している蜂だ。女王蜂を養蜂業者から購入し、そしてミツバチたちを春に向けて増やしていく。こうして産まれた鈴木さんのところの子どもたちは、採蜜の時期に半径二キロ圏内の蜜を集めにせっせと出かけていく。
つまり、養蜂は春先だけではなく一年を通した仕事。7月の採蜜が終われば、そこから来年の仕立てが始まります。蜂の数は自然には増えないので、一年をかけて蜂を育てていきます。
「ほっとくとどんどん減ったり具合が悪くなるので、冬を越せなくてダメにしちゃったこともあります。でも、3~4年目には数も増えて安定しました。今は採蜜が終わると数を調整しながら、次の桜の時期の4月を待ちます。女王蜂の命がだいたい3~5年と言われていて、だんだん卵を産む率も少なくなってくるので、そういった仕立ても冬までの仕事です」
冬の時期は、咲いている花も少ないため、この時期はハチミツの代わりに砂糖水を補充してあげたり、蜂に付くダニを退治したりと、美味しいハチミツを作るためには、蜂の飼育が欠かせない。
鈴木さんの自宅がある場所は、江戸川区の中で最も公園が多いエリア。
家族で暮らす方も多いので学校もたくさんあり、街路樹などが豊富に植えられ、密源が春から秋まで途切れない。江戸川区に限らず都内は蜜源が多く、ミツバチを食べてしまうスズメ蜂もいないので、意外にも養蜂には適しており、各区に一人くらいは養蜂家がいるんだそう。
しかし、住んでいる人が多い都内で養蜂をやるには、ご近所さんとの関係や注意するべきところも多い。
「裏に小学校のプールがあるので、夏は水を飲みに蜂が行っちゃうんですね。今年はコロナでプールがなかったので、久しぶりに7月まで採れましたが、いつもは6月で終わりになります。自分が始めた2007年頃は、養蜂業界で50~60人でしたが、しばらくしたらブームがきて、あちこちで始めて100人以上はやってたんじゃないかな。でも、ご近所のトラブルとかで増えたり減ったりで、今は100人弱くらいを推移してます」
「だから、ご近所付き合いは大切ですね。最初は隠れてやってたんです。自分も刺されて腫れちゃうこともあるので、やっぱり蜂イコール危ないってイメージがありますよね。でも隠れてコソコソやってるのもよくないので、ハチミツが採れたので近所の方に持って行ったんです。そしたらやっぱりねってバレてました(笑)でも、ちょうど蜂が少なくなったニュースが報道されるような時期で、頑張ってやりなさいって言ってくれる方もいて」
鈴木さんはこの江戸川区の生まれだが、若い頃は吉祥寺や高円寺といったカルチャーに憧れ、なにもない地元のことがあまり好きではなかった。しかし、蜂を通じたご縁で少しずつ周りに仲間が増え、地元をもう少し楽しい場所にしたいとマルシェを始めたりもしているそうだ。
ハチミツは、なんとなく蜂が採取していると思っている方も多いと思いますが、どうやって蜂がハチミツを作っているのかを知らない人は多いのではないでしょうか。
また、スズメ蜂は、本来害虫ではなく益虫(えきちゅう)と呼ばれる何かしら利益をもたらす虫で、野菜に付く青虫や幼虫を食べてくれるのでむしろ良い蜂とされている。しかし、それを知らずに危険な蜂だと誤認してしまっている人も多い。
こうした知らないけどなんとなく見過ごしてしまっていることや、間違った認識を知って欲しいと、鈴木さんは言います。
「自分はずっと東京なので、子どもの頃に千葉の友達のところに行って、夏にスイカを山ほど食って、大きい夕日が沈むのを見てすごい感動したのを覚えてて、蜂がそういうことを知るきっかけになってくれるといいなって」
「瓶で売ってるハチミツしか見たことがなくて、蜂とハチミツは分かるけど、その間は全く分からない。そこを縮めてあげられるきっかけをどこかのタイミングで作れればいいのかなって。たとえ大人になって忘れてしまっても、入口を作ってあげられるともっと自然に近くなれる。それこそイノシシやスズメ蜂が怖いっていうけど、距離感が分からいから怖くなってるので、知る機会がないことでおかしくなっちゃってる気がします」
そこで始めたのが、蜂の見学会。自宅の屋上に人を招き、蜂を見てもらったりハチミツを使った料理を提供しながらお話をすることで、今までなんとなくだったことを詳しく知ってもらえたり、知ろうと思うきっかけに繋がればと考えています。
「子どもがちょうど二歳くらいの時に震災があって、放射能が出たとか、食べ物を気を付けなきゃいけないときで、それこそ蜂も田んぼの水を飲んで大量死しちゃうとか。俺も蜂をやっていろいろ知ったけど、普通の人は気にしてないというか知るきっかけがない。だからきっかけを作ってあげられることをしたいなと思って、それで屋上で見学会をやったりとか、ハチミツからその先を見てもらいたいのが一番ですね」
「でも、徐々に見学希望者が増えて丸一日仕事になっちゃって、お金をもらう代わりにちゃんとサービスとしてやらないとやりきれないので、そこからお金にするみたいなことを考え始めました。だから、最初は商売にしようとはぜんぜん思ってなかった」
採れたハチミツは、鈴木さん自らがイベントなどに出店し、お客さんに説明しながら積極的に販売もしています。ハチミツをただ採るだけでなく、ちゃんと販売までするのもこだわりなんだという。
「お客さんにこのおもしろさを知ってもらいたくて販売も楽しいんですよね。養蜂ってハチミツさえ採ってればいいわけではなく、自然が良くなければ採れないし、毎週のように味が変わっていくので、この味はなんだろうとお客さんに言われて、今の時期はなにが咲いているのか、どういう種類がここには咲いているのかに目がいくようになって、そうすると都市部と田舎の町の作り方では、また違う都市計画みたいなのが見えてくるのもおもしろいなって」
「20代は映画や写真、ギャラリーに行ったりが楽しみだったけど、蜂をやってからはぜんぜん知らない違う世界に行って、すごい興味津々なんです。木の名前も分からない、花の咲く時期も分からない、味も分からない。なんかそれがすごいワクワクしちゃったんです」
鈴木さんには、さらにもう一つの活動がある。それは鉄を使った家具づくり。
これには養蜂とは違い、鉄工所が大きく関係している。
景気が良い時は、家にお金をかける人が多かったが、今はなんでもアルミの既製品で作ってしまう家が多いので、鉄を加工して作るという需要が減ってきている。そこで、持てる技術を使ってなにかやりたいと考えて始めたのが、家具づくりでした。
「何かを作りたい欲求があって、鉄工所は波があったから部屋の家具を作って、中古家具屋さんに委託で置かせてもらったらちょくちょく売れたんですね。それで調子に乗ってどんどん作ってたけど、いっぱい作っても売れなかったらゴミだし、一脚作るのに何千円しか出てこない。いくつ作れば飯になるんだろうと思ったら、やっててもしょうがないなと思ったんです。それが蜂と同じタイミングで、ハチミツなら食べればいいじゃんって思って、なんとなく家具から蜂にシフトしてしまいました」
「でも、フランスやドイツに行く機会があって、バウハウスとかを見たらまたやる気が戻っちゃって展示をやったんですね。最近は、捨てられる自転車を直す千輪さんとも話をして、また刺激をもらったりして細々でもいいから続けようかなって。すぐにお金にならなくてもなんとなくこういうことできますってことを知ってもらえたらいいのかな」
部屋の中に置いてある家具のほどんどは、鈴木さんがご自身で作られたもの。工場にも試作品が並んでいて、市販されているものにはなかなかない特徴的なデザイン。どれもとても素敵だ。
「もっとみんな作ることを楽しんだ方がいいのかなって。例えば、人参が三本100円で売られてても、どうやって作られているのか分からなくても、知らなければ知らないでどんどん流れていっちゃうだけ。でも、野菜に限らずなんでも作るとありがたみも分かる。だからみんなもっと作った方がいいのになって」
「いろんなことをやりますねってよく言われるけど、お金のない時があるから食えるためにはどうするかとか、買うんだったら自分で作って直して使えばいいじゃんとか、興味があることをやってるだけで、一生懸命なにかを作ろうとしてやってるわけじゃないんですよ」
いろんな顔を持つ鈴木さんだが、ご縁のあった地域では、そこの先輩たちに教わりながら、山を開墾して畑を作ったり、イノシシの猟を行ったり。活動はとどまる所を知らない。
今後はどんな方向に進んでいくんだろう。
「東京はどこに行っても音がいっぱい流れてて、すごい追い詰められてる気がして、いつかは田舎暮らしをしたいです。でも、みんなご縁で繋がってるので、無理して探していくよりは、なんとなく知り合いづてであれば行くかみたいな流れを待ってる段階ですかね」
蜂が蜜を運びハチミツができる。当たり前のように私たちはそのハチミツを食べているが、そこに行き着くまでの過程を知っている人は少ない。
これはハチミツに限ったことではなく、人生にはそんな風に知らなくても困らないことや、知ることなく過ぎ去ってしまっていることがたくさんあるはずです。
でも、鈴木さんが蜂と出会って視点が変わったように、少し目線を変えて物事を見ることができれば、知らなかった新しい世界がそこには待っているのかもしれません。
撮影:だしフォト