のしごとのトップ / 得意と好きの掛け合わせ (バリスタ保健師のしごと)

得意と好きの掛け合わせ

バリスタ保健師のしごと

バリスタ保健師

健康で暮らし、働く。

当たり前のことのようでも、これを続けていくのは簡単なことではありません。それでは、自分の健康を守っていくにはどうしたらいいんでしょう。

病気になってから病院に行くのではなく、日々の暮らしや意識を少し変える。そんなちょっとした心がけでこの先の健康は長く維持できるのかもしれません。

長く健康で暮らし働けるように皆さんの健康を守っているのが保健師の仕事ですが、企業で働く方の病気や怪我を防ぐための保健指導を行う『産業保健師』の存在を聞いたことがあるでしょうか。

保健師は、保健師国家試験と看護師国家試験の両方に受かって初めて、この仕事をすることができる看護師などと同様の看護職。『治療』に関わる看護師に対し、保健師は『予防』に関わります。保健指導や健康教育を通じ、健康維持や増進活動により病気の予防を行います。

そんな保健師の中でも産業保健師というのは、あまり馴染みのない職業かもしれませんが、会社の中にある保健室の先生と言うと少しイメージが湧いてくるのではないでしょうか。つまり、会社に所属し、そこで働く人たちの心と体の健康を支える仕事をしているのが、産業保健師です。

街で出会える産業保健師

バリスタ保健師

東京都墨田区の曳舟駅前で毎週開催しているマルシェ『すみだ青空市ヤッチャバ』で、生産者さんのお手伝いをしたり、ときには珈琲を淹れたりもしながら、お客さんの話に真剣に耳を傾ける一人の女性の姿がありました。

聞けば、普段は企業の産業保健師として勤務しているが、休日には街へ飛び出し、お客さんと一緒にコーヒーを飲みながら話を聞いているんだそう。

なんだかおもしろそうな活動。もっと詳しく話を聞いてみたいと思い、日を改めてインタビューさせてもらうことにしました。

今回は産業保健師として働きながら、新たな活動を模索中の立山さんにお話を伺ってみたいと思います。

バリスタ保健師

まずは、産業保健師としての普段の仕事を教えてください。

「勤務する会社には、9,000人が働いているので、その方たちの健康診断の管理がメインです。ちゃんと受診してもらうためのスケジュールを管理したり調整します」

立山さんが勤める会社は、特殊な現場で働く方も多いため、健康診断といっても有機溶剤を使う現場の方には特殊健康診断、エックス線業務の方には電離検診といった珍しい検査があります。

そして、そういった方たちが出張で検診結果が必要になれば、書類の手配も行います。つまりは、従業員の方々の健康状態を日々管理し、健康で安全に働けるように支えているのが、立山さんの産業保健師としての仕事です。

また、健康診断の後の面談も大切な仕事です。

「健診後に結果のフィードバックとして全員と面談をします。一人10分ほどかけて9,000人を保健師8人と産業医3人で行うので、単純計算で一人の担当は1,000人。面談だけでも3~4カ月はかかります」

1,000人。それはすごい数ですね。

「ほぼ初対面の方ばかりですし、ただ普通に話すんじゃなくメンタルを見たりもするし、休んでいて復帰する方の面談や、問診票でストレス度が高い人の面談をしたりもするので、入社一年目の時はほんとに大変でした」

「あとは教育系です。年代別に健康教育を会社でやっているので、資料を作って実際に90分間講義をしたり。意外といろいろやってるけど見えてないので、なにやってるか分からないとか、保健室で具合の悪い人を見てるだけって言われることもありますが、実はいろいろやってるんです」

健康診断は受けて終わりじゃない

バリスタ保健師

保健師は病気になってしまった人を治すのではなく、病気にならないための『予防』を行うのが役割だ。健康診断をしっかり受けてもらう、面談で異変がないかをチェックする、そして普段の意識を変えてもらうための教育活動といった、会社で働く方々の予防を行います。

しかし、働きながら保健師の指導を受けられるのは限られた人だけで、誰しもが気軽にアドバイスを受けることができるわけではないし、そもそも出会う機会自体がない人の方が多いのかもしれない。

それもそのはずで、労働安全衛生法によって、従業員の多い会社は必ず産業医を置かなければいけないという法律があるが、中小企業や個人で働く多くの方には、保健師からアドバイスやケアを受ける機会がほとんどありません。

それでは、保健師のいない環境で働く方はどのように自分で予防を行えばいいのでしょう。

きっとほとんどの方は分からない、もしくは忙しく過ごす日々の中で自分の健康を考えるきっかけさえも少ないのではないでしょうか。

「いろいろな活動を通じて、保健師さんと出会ったことがない方が多いことを知り、健診結果は誰が見ているんだろうという疑問を持ちました。そして、そもそも健診結果の見方を知らない方も多いし、返ってきた結果も二行くらいの文章が書かれているだけだと、もう無意識レベルで受けているだけです。異常が出て受ける再検査もそれだと次は行かなくなってしまいます」

そんな状況に気づいた立山さんは、とある活動を始めます。それは、ちょっとした相談を誰でもで気軽にできるような『みんなの保健室』のような場を作ること。

さまざまな場所で珈琲を淹れながら来てくれた方と話をすることで、病気をしてから病院に行くのではなく、病気をする前に予防を考えるきっかけを作れるような交流場を始めました。もちろん表向きは健康相談というものではなく、あくまで珈琲を淹れて雑談をするだけ。

「人は理解して必要だと思ってようやく行動ができると思うんです。お医者さんの大丈夫は治療レベルであって、私たちはマイナスをゼロに向かわせるものではなく、健康をより良くするものです。基準に対して大丈夫でも、去年の自分よりも悪くなっているなら改善してもっと良くした方がいいと思います」

「野菜を食べようとか、運動しようって本を読めば書いてあることではなく、生活背景を聞いて好きなことと絡めたり、運動もスポーツ的なことじゃなく一日1,000歩歩きましょうって言葉を10分歩けば1,000歩だから5分のコンビニ往復でいいんですよと伝える。それならできるって思うじゃないですか。その落とし込みが保健師の役割だと私は思うし、そうじゃないといる意味がないと思います」

珈琲を介して

バリスタ保健師

40~50代になると、徐々に健康診断で異常が出る方が増えてきます。これを加齢によるものだと思ってしまう方も多いかもしれないが、実は問題が表面上には出にくい若い頃からの蓄積も大きい。

そこで、働き盛りの若い世代の方にこそ『予防』のことを考えてもらいたいと考え、選んだのがこの珈琲を介したコミュニケーションでした。

「一緒に振り返りをすると、見方やポイントが分かっておもしろいと思ってもらえます。だから伝え方が大事だと思うし、働き盛りの20~30代の人たちが情報に触れてなくて、気づいたら40代になり年齢のせいにしてしまうけど、ケアの仕方を知って迎えてたら状況は違うだろうし、それがほんとの予防だと思います」

「でも、ただ健康になりましょうとか健康相談やりますでは、関心を持ってもらえないし来てもらえないので、相手の日常の中に踏み込んだ方がいいなと思いました。自分なら落ち込んだ時どこに行くか考えたら、やっぱりカフェに日常的に行ってることに気づきました。珈琲を飲みに来たって理由があれば、相談しに来ましたって言いづらさもないし、建前ができて相手も来やすくなります。おいしい珈琲が飲めてなんならそういう話も延長でできたらその場に価値が生まれます」

『好き』と『得意』を活かしたバリスタ保健師

バリスタ保健師

立山さんがみんなの保健室という場で、コミュニケーションを取るためのツールとして珈琲を選んだのには、自分がカフェが好きだったことに加えてもう一つ理由があります。それは、看護学生の頃のアルバイトの経験。

スターバックスでのアルバイトを通じて、自分がここで働く意味、そしてお客さんに来てもらう意味について考えることになります。

「働いていたスターバックスは、病院の中にある病院店でした。いろんなスタバがある中で、ここに来る意味や理由をどうやって持ってもらえるかを考えた時に、あの人に聞けば珈琲のことを教えてもらえたり、珈琲の話がもっとできるようになれれば、私がここで働いている価値を見出せて、それがスタバの価値にも繋がるのかなって思い、珈琲の勉強をはじめました」

そこで目指したのは、スターバックスのスタッフの中でも約一割の合格率と言われるブラックエプロンバリスタ。珈琲に関する豊富な持つ限られたスタッフにのみ与えられる専門家の証で、珈琲のことをいろいろと勉強しはじめ、見事に試験に合格しました。

バリスタ保健師

ブラックエプロンを目指しながら珈琲の知識を深めていく中で、珈琲の奥深さに気づかされたと言います。

「スターバックスでエチオピアの乾燥式スペシャルティ珈琲をはじめて飲んだ時、苦いと思っていた珈琲がストロベリーティーのように華やかだったことで、珈琲の概念が覆されました。作り方や産地ごとの品種といった話もおもしろくて、珈琲には人もストーリーも繋がるものが多くて、ワクワクする要素が多いんです」

「自分ももともと珈琲があまり好きじゃなくて、スターバックスを抹茶フラペチーノ屋さんくらいにしか思ってなかったくらいで(笑)でも、それだけおもしろいと思えたから、その要素が何かを整理し伝えることで常連さんができたり、珈琲が苦手だった人が飲めるようになったりして、自分が伝えた情報で誰かの日常が少し変わり豊かになるってすごい素敵なことだと思いました。私はそのためのツールがたまたま珈琲で、自分の個性もそこだと思います」

こうして学生時代に学んだスターバックスの仕事と、今の産業保健師の仕事を掛け合わせて生まれたのが立山さん自身が考えて作った『バリスタ保健師』としての活動で、好きなことと得意なことをうまく活かすことに繋がりました。

はじめたきっかけ

バリスタ保健師

このバリスタ保健師として活動を始めたのは、社会人として働き始めて約5年が経った頃。そもそもこれを思いついたきっかけは、横浜みなとみらいにあるBUKATSUDOという街のシェアスペースで行われていた『言葉の企画2019 』という講座に参加したこと。

ここでの経験が、企業で勤めていた立山さんが外へ飛び出す一歩となりました。

「2019年5月からの半年間『言葉の企画』という講座に参加したのが、自分の中では一番大きかったです。医療にどう繋がるのか分からなかったけど、言葉は職業あまり関係ないと思ったのと、見方によっては何でも企画だから看護も企画かなって」

「初回の課題が『一生忘れられない経験を企画してください』という課題で、提出期限ギリギリの土壇場で記念日っていいなと思って」

記念日?

「以前の通勤道にあったモスバーガーに、毎日なんの日か書いてあったんです。それを職場で共有して、見てない日も3月23日だったら3で挟まれてるからサンドイッチの日とか、実際にはない語呂合わせでも意外と盛り上がって会話が生まれました。一生忘れられないって思い出すことで記念日になれば思い返せるので、講座の初回日の5月18日を調べたら語呂で『ことばの日』が出てきて」

バリスタ保健師

言葉の企画で、初日がことばの日。偶然にしてもすごいですね。

「ことばの日は、何を調べても制定者不明でしたが、不明ということは誰かが制定してるはずと思って、日本の記念日をまとめている日本記念日協会で調べたら、まだことばの日は登録されてなくて。じゃあ、ことばの日を再定義して登録することができたらおもしろいし、記録にも記憶にも残るんじゃないかと思って、言葉の日を実際に作ることができたんです」

実際に5月18日を検索してみると、『ことばの日』がヒットし、確かに正式に制定されていることが分かる。

「講座の中で、最後の企画として『自分の企画を考える』という課題が出て、自分は珈琲が特徴なことと、保健師と出会う人が少ないって話を聞いて、それを整理していたら『バリスタ保健師』に行き着き、最後の発表で活動していくことを宣言しました」

「その講座が2019年10月に終了し、12月にはコミュニティナースプロジェクトに応募して、翌月に墨田区でやっている『すみだ青空市ヤッチャバ』と出会いました。ただ、ヤッチャバに来る方の多くがおじいちゃんやおばあちゃんで、働く方を対象としていた自分としては少し迷いましたが、とりあえずやってみるかと始めたら全部がいい感じに繋がり始めてます」

こうして、あの日ヤッチャバで珈琲を淹れる立山さんを見かけることになったというわけなんですね。

特技を活かせる人を増やしたい

バリスタ保健師

今は会社の休日を使って、ヤッチャバの事務局としてお手伝いをする傍ら、シェアオフィスのブレイクタイムで珈琲を淹れるといった活動をしているそうだが、企業に勤めながらもこれだけアクティブに活動しているのはなぜでしょうか。

「種まき活動として今はやってる感じです。カフェで働く元看護師の人はいっぱいいると思うけど、カフェの仕事だけで看護相談を軸にしてる人は少ないと思います。私のようにバリスタと保健師の掛け合わせみたいに、好きなことや得意なことを仕事にできるのが医療の中でも作りたいです」

「看護師の免許を持っててもさまざまな事情で働いていない人たちはいっぱいいて、フル勤務は難しくても、カフェのアルバイトでバリスタ保健師やバリスタナースという新しい働き方ができたらまた戻ってきやすいんじゃないかなと思って、ないならやっちゃえみたいな感じで、動き始めたところなんです」

保健師に出会う機会のない人にとって、立山さんみたいな方に会いたい人は多いように思います。そういう方にはどうやったら出会えるでしょうか。

「地域の保健師さんとかになると思いますが、その人たちも仕事で保健師をやってるので、どこまで親身になって聞いてくれるかは人によるところはあると思います。責任も生じるから言えることと言えないこともありますし、地域の保健師さんだと17時までの勤務で時間も制限されてます。それだとサラリーマンはやっぱり出会う機会ってないですよね」

「そうなるとコミュニティーナースの存在が近いと思いますが、看護師さんと保健師だと観点がまた違っていて、健康診断をどう読み解き伝えるかは保健師のスキルのようにも思います。でも、市の健康診断なら500円で受けられるものもあるけどあまり知られていないので、そういう相談をもっと気軽に聞ける人が増えたらいいなとは思います」

バリスタ保健師

立山さんの珈琲を介したコミュニケーションは、薬を処方したり治療を行うわけではない。ただ、珈琲を飲みながら雑談をするだけだ。

しかし、珈琲を飲み終えて立ち上がった瞬間に、ふっと肩が軽くなったような気持ちになる。

病院に行き薬をもらうだけが治療では決してなく、話を誰かに聞いてもらうだけでも心はきっと軽くなるもの。

そんな場を、会社に勤めながらも立山さんは作ろうと奮闘している最中だ。

 

 

 

撮影:だしフォト

(2021.05.19)

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