のしごとのトップ / ゼロからのお酢づくり (但馬醸造所のしごと)
新しい事業を突然はじめることになったとしたら、多くの人はできるわけないと諦めてしまったり、投げ出してしまうのではないだろうか。
しかし、やる前から諦めるのではなく、やるだけやってみる。
ゼロからスタートした事業は、世界からも評価されるものづくりへと成長し始めています。
たった二人で始まった小さなお酢を作る会社の物語、ぜひご覧ください。
兵庫県の北部に位置する養父市は、人口25,000人ほどの小さな町。2014年には、国家戦略特区に指定され、中山間地農業の改革拠点として位置づけられています。
この地域にある、お酢を作る会社の営業さんと出会う機会があり、サンプルでいただいたお酢を試してみたところ、香りがまろやかでお酢特有のツンとした匂いが全くない。同じお酢でもこんなに風味が違うことに驚き、どうやって作っているのかとても気になって見学に伺ってみることにしました。
町の中心地から車を走らせ、山と山の間の道を30分ほどかけて進んでいく。
徐々にすれ違う車の数も建物も減っていき、積雪量も増えていく。不安になりながらもナビを頼りに進んでいくと、ようやく川沿いにぽつんと立つ学校が見えてくる。
周りを山に囲まれた自然豊かな場所に静かに佇むその姿は、当時を知らなくても昔とほとんど変わってないのは明らかだろう。子どもたちの姿や声は聞こえなくても、知らない人が通ったら普通の学校だと思うはずだ。
この学校は、2006年に廃校となった旧大屋町立西谷小学校。昨年で120年を迎える歴史のある建物だ。
廃校になった後しばらくはそのままになっていたが、市はこの建物の再活用方法として企業誘致を考え、アプローチをかけたのが日の出みりんで有名な『キング醸造株式会社』です。
キング醸造は、建物を市から借り上げ、4億を超える資金を投じ改修。お酢の醸造工場「日の出ホールディングス株式会社食品カンパニー 但馬醸造所」として2008年より稼働を始めました。
一度はその役目を終えた学校が、お酢工場として再び建物が利用されるようになって約12年。今はどのような形になっているのか、お話しを伺ってみたいと思います。
学校の中に入って声をかけると、今は事務所として使われる職員室だった部屋から、工場長の大友進さんが出迎えてくれた。なんだかお世話になった昔の先生に会いにきたような不思議な錯覚を覚える。
大友さんは、キング醸造の営業マンとして全国を飛び回っていたが、廃校となったこの建物を改修し、お酢の工場を立ち上げるにあたり、工場長として抜擢された。
もともとは、本社のある兵庫県加古郡稲美町の出身だったが、この突然の異動により、縁もゆかりもない山奥に単身で赴任し、一から工場の立ち上げに奮闘してきた中心的な一人だ。
但馬醸造所が立ち上がってもう10年以上になる。大友さんは昨年ここで還暦を迎え、3月末で一旦卒業。4月から所長という立場になるものの、これからも最前線で指揮を取られる予定です。
「12年前は営業として、全国はもちろん海外まで、みりんや料理酒を売り歩いとったんです。でも、もともとここは本部にいた現場の者が立ち上げる話でしたが、いざ立ち上げるとなると、現場もオーナーも不安があったんでしょう。急遽立ち上げ段階で私に話がきまして」
「というのも、キング醸造に来て41年になるんですけど、30年ほど前にお酢の会社を買収した時に三年ほどお酢づくりに行き、もともと現場を担当しとったんです。だから、ここを立ち上げる話が決まってからは、昔の感覚を取り戻すために、知り合いの東京のお酢屋さんに行かせてもらいましたよ」
最初の立ち上げは、大友さんを含む社員二人。人手もなければ大きな機械もないところから、一年がかりで工場の準備と並行しお酢づくりをスタートしました。
山の囲まれた小さな集落の中にある学校の教室の窓からは、わずかな家と山が見えるだけ。最寄り駅からは車で30分ほどかかる辺鄙な場所で、大友さんも初めてこの地を訪れたときは迷子になったと言います。
そもそもなぜこのような場所でお酢を作っているかというと、自然豊かで水も空気もキレイなことが、お酢づくりには適していると考えられてここが選ばれた。しかし、この場所でのお酢づくりは簡単なものではありませんでした。
何が大変かというと、まず物流面。
町から離れたこの場所には、作ったお酢を運んでくれる運送会社がやって来ることができない。そのため、地元の運送会社さんに協力をしてもらい、一旦物流センターに運んでもらってから全国へと配送が行われています。
また、降雪量が年々減っているとはいえ、今でもそれなりに雪も降る。当然ながら雪が降れば交通の便は悪くなり、雪かきなどの作業も発生してしまいます。
それでは、お酢づくりに関してはどうだろう。アクセスが悪くても大きな学校を使うことには、何かしらのメリットがあるに違いないと大友さんに伺ってみると、ずばっとこんな風に答えてくれました。
「お酢を作るにはぜんぜん向いてませんよ。むしろようやったなぁと自分でも思います。お金もかかるし、僻地で雪も降るし。でも、自然環境は確かにいいですわ。水も空気もいいし」
しかし、決して悪いことばかりではありません。それは、学校という大きな建物をうまく利用している点。
例えば、職員室は事務所に、理科室は研究室、家庭科室ではお酢を使った料理教室が行われ、そして肝となるお酢づくりは、高い天井のある体育館が使われている。
大きなタンクもすっぽりと入ってしまう体育館は、お酢づくりには向いていないとは言え、大きな設備を設置するには十分な広さがある。これだけの建物を一から作ろうと思えば大変だが、既にある建物を活かした理にかなった使い方のようにも思える。
体育館の中に一歩足を踏み入れると、酸っぱいお酢の匂いが広がる。ここでようやくお酢を作っている場所だということを実感する。
午前中だったにも関わらず、夕日が差し込んでいるかのようなオレンジ色に染まる空間は、まるでどこかの研究施設を訪れたかのよう。これは、虫が入らないための防虫シートが窓に張られているためで、ベースは体育館を活用した建物でありながら、しっかりとした施設に生まれ変わり、食品レベルとしては最高位の認証を持つほどの工場なんだという。
お酢は、まずお酒を作るところからスタートする。できあがったお酒を酢酸菌で発酵させることでようやくお酢ができあがるが、酢酸発酵の方法には大きく分けて『静置(せいち)発酵法』と『通気発酵法』の二種類があります。
昔ながらの静置発酵法は、タンクに入った酢酸菌が約一カ月かけてお酒をお酢に変えていきます。この方法で作られたお酢は、風味が柔らかくまろやかなものができるが、手間がかかる分コストも上がってしまいます。
この方法は、体育館の一番奥にあたるステージだった場所を二階建ての専用の発酵蔵に作り変えて行われている。部屋の壁や床には、地元の杉板が用いられており、温度や湿度管理に適した環境が整えられています。
一方で通気発酵法は、機械で空気を送り込むことで発酵を強制的に進ませることができる。そのため、約一週間で高濃度のお酢を作ることができ、大量生産やコストダウンを実現できます。
スーパーなどで一般的に販売されているお酢の多くは、こちらの方法で作られているが、短期間で作られたお酢は、静置発酵法に比べると風味がツンとしたものになってしまいます。
また、機械を使って作る通気発酵法は、約一億もの機材投資が必要になります。そのため、この方法でお酢が作れるのはどうしても大手のみになってしまい、小さなお酢屋さんが導入することは難しく、機械で作られた高濃度のお酢を大手から買い、それをブレンドして作るのが一般的です。
しかし、但馬醸造所は、どちらの方法でもお酢を作ることができる技術と設備を持っており、ブレンドして味や価格を独自にコントロールできることがなによりの強みだ。
『通気発酵法は、機械で作れば一週間で15%の高濃度のお酢を短期間で作ることができるから、大手さんのお酢は非常にお安くできる。タンクの大きさに三倍くらい差があり作れる量も違うし、24時間動きっぱなし。でも、うちは自前で両方作っているのが強みで、ものによって使い分けてますが、赤酢に関しては完全に静置発酵法で作ってます」
静置発酵法は、機械で作るお酢に比べ当然ながら手間も時間もかかります。
特に難しいのは温度調整だ。発酵の際に表面に浮いてくる酢酸菌は、放置していると温度が40度まで上がり、熱によって菌が死んでしまいます。それを防ぐのに欠かせないのが温度管理。約35度にキープし続けることで、菌が生きたままお酒をお酢に変えることができます。
手間のかかるこの方法は、機械で大量生産されるものに比べて成分的な違いはあるのだろうか。
「基本的に物質は一緒ですね。ただね、風味が違うんです。角のあるつーんとした無味無臭の一般的なお酢に比べ、手間暇かけて作る昔のやり方は、角がない柔らかい風味があります」
手間をかけて作る静置発酵法は、風味が良くなるがその反面、手間がかかる分コストも上がってしまい、日常使いには不向きなデメリットもあります。
また、ぽん酢などは角のあるお酢を使って作る方が、むしろゆずの香りがしっかりと出るなど製品によっての相性もあり、一概にどちらが良いと言えるわけではありません。
そのため、製品によって作り方を変えたり、どちらの方法でもお酢を作れる特徴を生かし、ものによってはブレンドすることで味を調整したり、コストを下げることで美味しいお酢を手に取りやすい価格で提供できるようにしています。
しかし、手間のかかる作り方は、大量生産のお酢に比べると割高になってしまう。そのため、地元でもなかなか商品を取り扱うところは少なく、扱っているのは商品の価値を理解しているお店に限られる。では、販路の多くがどこかというと、およそ4割が海外へと輸出されています。
海外からの評価は高く、スペインで開催された『CINVE 2020国際コンテスト」においては、赤酢が金賞を受賞するなど、アメリカを中心に12か国ほどに輸出されているほどだ。
「長年、営業をしてきてルートも既に持ってましたが、今までのルートではなく、自分でチャネルを探して売るために行き着いたのが海外です。海外は、ありふれた商品は価格で選びますが、ある程度アッパーのある良い物に関しては、値切るようなことはあまりしません。それに見合ったものの価値を認めてくれるので、どちらかというと輸出をメインに考えています」
「スペインはぶどう酢やバルサミコがある中で、日本のバルサミコとして評価してくれたと思うんです。うちは酒蔵も持ってますので、普通の酒粕じゃなく純米粕オンリーで30トンくらい寝かしてるのが強みなんですわ。江戸時代に発展した赤酢は、今は普通粕で大手さんは作ってますが、うちは昔ながらの純米の粕だけを使っていて、ここを任された時に作りたかった商品です。それを評価してくれたんですね」
昨年、コロナの影響で海外への輸出量は激減してしまった。そこで、2020年5月にはアルコールの免許を新たに取得し、アルコール製剤を作るなど、お酢から派生した取り組みを始め、前年並みの売上数値を確保。さらに、輸出も徐々に回復しているという。
「日本はやっぱり海外と商売しないと市場が広がらない。そうなった時に我々みたいにある程度の認証がないと輸出できないんです。だから、最初にみんな本社で勉強して自分でできるレベルまで育ててますので、うちで経験したらどこの食品会社でも就職できますわ」
但馬醸造所の商品には、地元で作られているものが積極的に使われており、海外からは、素材のこだわりにも注目されている。
例えば、お米は豊岡市のコウノトリ米、塩は地元但馬の海(日本海)のもの、ぽん酢には養父市のお醤油屋さんが作ったお醤油など、積極的にこの地域のものを活かした商品開発が行われる。
地元のものを使うのには、なにか理由があるのでしょうか?
「行きつく先はそこしかないでしょ。原料やコストだけを考えたら、味噌でも醤油でも地のものじゃなくてもなんぼでも安いものはありますわ。でも、そんなことしても意味がないから。やっぱり地元で調達できるものは地元で調達したい。そのかわり最低限のレベルは求めますよ。水の分析をしたり、工場の対応などを見た上でお願いしています」
地元の素材を使うだけでなく、素材自体を育てているものもあります。多くの製品で使われている山椒とゆずは、自分たちで畑を耕し育て収穫を行う。
作れるものは作ってしまうのがモットーで、八年ほど前にはお米を作っていたこともあったが、今はゆずと朝倉山椒に特化し自社栽培にこだわったものづくりをしています。
ゆずに関しては、安定して収穫ができるまでに三年がかかったそうですが、400本の苗木を最初に植えたことで、今年は七トンもの収穫量になる。しかし、山椒に関してはまだまだ全てを賄えるほどの生産量ではないと言います。
「基本的にあまり添加物やアレルゲンを使いたくないので、お酢以外でもこだわった商品ばかり作ってます。山椒もゆずも自前だし、肥料も作る過程で出る廃棄物を使って自前でやっとるんですわ。できることは自分のところでやる。迷惑かけてへんでしょ。一部大手さんもやってますけど、この規模でここまでやってるとこはあまりないので、こだわって但馬というブランドを育てていきたいなと思っています」
ゆずや山椒の作り方はどのようにして学んだのでしょうか?
「農業指導員の方に入っていただきました。だからほんと手探りですよ。最初は草が伸び放題だったから社員で除草シートを張ったりね。今もみんなで草刈りやって畑で弁当食べたりして。若い子たちもおもしろいと積極的にやってくれてますよ」
今後も収穫量は増やしていくのでしょうか?
「なんでもかんでも増やせばいいってもんじゃなく、自分たちができる体力の中でやっていかなければなりません。ゆずは一気にやってしまって、残ってしまったこともあって大変でしたが、『ゆず山椒』という商品がヒットして、今はむしろ足りませんから、手の届く範囲で徐々に増やしていくのが重要です」
但馬醸造所の商品の中で、特にヒットしたのがこの『ゆず山椒』という商品。
実は、似たような商品はあるものの、ゆずと山椒を組み合わせたものはほとんどなく、大友さんはそこに目を付け商品化したことでヒット商品が生まれた。
「赴任先の大分で、25年前まだ全国区ではなかったゆず胡椒で湯豆腐を食べたらおいしくてね。それで、最初ゆずのドレッシングを考えましたが、火入れをすると山椒の風味が飛んでしまうんです。それで、二年くらい試行錯誤してゆず山椒を作ったんです。それが結構うまくて反響があってね。東京の商業施設でも、出すなり一位になって常にトップを走り続けましたよ」
「ゆず山椒は、乾燥物でそれらしきものはありましたが、練り物はうちが初めてです。だから、3年前からパン屋のドンクさんでも入るようになって、塩パンに使われてます。海外含め全300店舗でやろうって話だったけど、うちもそんなに数がないから、近畿11店舗で売ってもらってます」
世の中にないおもしろい商品を作りだす但馬醸造所。今後は、どのようなことを考えているのでしょうか。
「今の売り上げは二億で、ここの規模だと五億くらいが限界ですわ。できたら三億できっちり回せるものに仕上げたいなと。あんまり大きくは望んでなくて、ここのキャパでしっかりと回せられるものを作っていきたいなと思っています」
現場から畑違いの営業職へ移動になり、その次は山奥の廃校で工場長を突然やることになった大友さん。何もないこの場所に来たことを今改めて振り返ってみてどうですか?
「楽しいですよ。ぼくは楽しむ方やから。置かれた立場をどう楽しむか。だから好きなようにさせてもらってますよ」
「昔、オーナーに言われたことがあるんです。35歳の時に、いきなり現場から営業に行けって言われて、だったら辞めますって言ったんです。そしたら最初から答えだすな、やってみて合えへんかったら諦めたらええやんって怒られてね。そりゃそうやな、やらんうちから答え出したらあかんなって。それで九州に営業で行ってみて、半年間はしんどかったけどあとは楽しかったですよ」
移動を命じられた時、やらずに諦めていたら今も何も始まっていないかもしれない。
できないかもしれなくてもまずはやってみる。
パッションみなぎる大友さんの話を聞いていると、何でもできそうな気持ちになってくるから不思議だ。
撮影:だしフォト