のしごとのトップ / 自らが変わることで地域を変える (四十沢木材工芸のしごと)
まいもん。
能登弁でうまいもののことを言います。
石川県・能登のまいもんと自然とともにある暮らしを伝えるために、3つの生産者さんと、地域と外を繋ぐ1つの施設を訪れました。
高校や大学がない町は、進学とともに出ていかなければならない。
石川県輪島市も、大学がない地域の一つだ。大学進学のためにこの町を離れ、そして戻ってくる人もいれば、都会で就職しそのままそこで暮らす人も多い。
若い人が地元を離れていくことで、徐々に人口が減っていくこの町では、働き手の確保が困難になり、産業を維持していくことも難しくなってしまう。
しかし、そんな状況をただ指をくわえて見ているのではなく、会社を大きく変え魅力を発信していくことで、若い人が帰って来たくなる働きたくなる仕事を生み出そうとしている会社があります。
1947年創業の『四十沢(あいざわ)木材工芸』は、伝統工芸である輪島塗の漆器用の”木地”を作っています。
木地(きじ)とは、塗料を塗る前の材料の木を粗挽きしたもののことを指します。輪島塗は、塗りや装飾など様々な工程がありますが、漆を塗る前の完成した木製素地が木地と呼ばれ、これがなければ漆器を生み出すことはできない。つまり漆器づくりに置いて、最初の重要な工程を担っています。
ここでは、指物、曲物、ロクロ、刳(く)りものまで幅広く対応できるだけでなく、NCルーターと呼ばれる加工機を用い、手作業と機械加工を組み合わせ、様々な注文に対応することができます。
「ありとあらゆる木製品ができるので、注文を受けているうちにどんどん種類も増えて、小さなものから大きなものまで作っています。ただ、漆器自体の産業が振るわなくなっていて、漆を使わない品物の売り上げの方が大きくなってきています」
と話すのは、四十沢木材工芸の四十沢さんご夫妻。
漆を使わない品物とは、つまり輪島塗ではない器のこと。これが、長年売り上げを支えてきた輪島塗の木地の売り上げを逆転し始めているというのは、いったいどういうことなんだろう。
まずは、お二人に会社のことから伺ってみます。
四十沢さんたちは、輪島市の出身。この地域で生まれ育ちましたが、大学のない輪島では就職のため都会へ出る道を選ぶしかありません。
そのため、旦那さんの宏治さんは、関東の大学を出て、そのまま電気メーカーに就職。そして、奥さまの葉子さんも、関西の大学を出てそのまま一般企業に就職しました。
「長男なので、いずれは家業を継ぐつもりでした。でも、就職活動の時に、親父から3年くらいは好きにしていいよと言われたので、電機メーカーに就職しました。そこで営業をしていましたが、2年ほどで呼び戻されました」
四十沢木材工芸は、宏治さんのお父さんが戦後まもなくして始めた会社。
宏治さんは二代目として東京から戻って家業に入り、一年間職人である工場長に付き、木地作りを徹底的に学んだといいます。
そして、昨年亡くなられたお父さんの後を継ぐことになりますが、昔からこの仕事は身近なものだったそうです。
「NCルーターという機械で今は作りますが、ぼくが高校2年生くらいの時にこの機械が入り、講習を受けにいってプログラムの手伝いをしていたこともありました。だからここは昔から遊び場ではありましたよね。物を作ったり触ったりもしてましたし」
四十沢木材工芸の強みは、手作業と機械を使い分け量産ができること。
手作業で仕上げる風潮の強い漆器業界において、機械の導入は当時大きなできごとでしたが、先代が早くに取り入れ機械と手作業を分担したことで、これまで以上の仕事を受けられる体制ができていきました。
「父が亡くなった時に親戚の方が来てくださって、いろんな話を聞くと当時もいろんな木材加工がありましたが、機械をいち早く入れてここまで大きくしていった、パイオニア的なすごい人だったと知りました」
しかし、そんな四十沢木材工芸も、大きな課題を抱えています。
それは、若い働き手が少ないことと、今働いている方の中には、30年近い熟練の職人さんもいれば、入社してまだ数カ月という方もいて、大きくキャリアの差が開いてしまっていること。これからこの会社を成長させていくだけでなく、事業を継続していくにはこうした若い方の成長が欠かせません。
人材確保と技術の継承は、常に課題としてあります。
技術継承の大きな障壁となっているのが、そもそも輪島に若い方が少なくこの仕事を志す働き手が少ないこと。そして、今は多品種少量生産が主流になっている仕事のスタイル変化が挙げられる。
多品種少量生産になると、スタッフは次から次へと新しいことに挑戦をしなければならない。そのため、一つの仕事をじっくりとこなすことができず仕事が覚えられない。一人前として成長するのに、これまで以上に時間を要するようになってしまいました。
「昔は、テーブルだけを100台作るといった仕事もあったので、その中で仕事を覚えられましたが、今はロットが少なく次々に新しい仕事が入ってきます。数の仕事があると覚えやすいですが、小ロットでは覚える前に終わってしまいます」
毎日同じ仕事だけをこなすのは大変ですが、次から次へと新しいことをするのもまた大変な仕事です。同じ作業を繰り返すのとは違い、イレギュラーなことも多く、臨機応変に対応できる柔軟さも必要になります。
宏治さんとしても、一人一人に刃物のことから材料の見方まで、基本的なことからじっくりノウハウを伝えていきたい気持ちは強くありつつも、現状の体制では難しくもどかしさを感じています。
そのため、経験のあるなしよりも、自発的に学ぼうとする意欲的な方をこの現場では必要としています。
「分業になっているので、それぞれの仕事がよく分からなかったり、お互いの仕事を学べなかったりします。一つの品物を最初から最後まで全部やれれば見通しがたち、いずれ効率よく仕事が回っていくことにはなりますが、現状はそれができていません。でも、売り場を見て肌で感じながら品物を作ってもらえると、作る意識も変わってくるはずです」
「例えば、木は一枚ずつ表情も違えば、虫食い加減であったり、物によっては色が違うこともあります。どこまでをお客さんに出して大丈夫か、その判断基準がお客さんと直接触れ合えば分かってくると思います。だから、売りの現場には出て行ってもらいたいなとは思っています」
機械を早くに導入したことで大量生産が可能になったにも関わらず、今は仕事を断らないといけないほど、仕事が溢れてしまっているといいます。
輪島塗自体の産業が低迷しており、それに比例して木地の売り上げも減っている。しかし、注文を断らないといけないほど仕事が増えているというのは、いったいどういうことなんだろう。
それには、廃業していく木地屋が全国的に増えていることが関係しています。
「輪島塗は、輪島の大きな基幹産業で、町がまるごと工房のようになっています。うちみたいな木地屋もいれば、塗り専門の方や加飾専門の方がいて、ぐるぐる周って一個の品物ができます。でも、それぞれが弱ってしまい、かつ材料も少なくなり、輪島塗の木地自体の売り上げは減っています」
「そんな状況でも、全国の木地屋さんが廃業していることで、様々なところから注文が来ていて、今はとにかく生産が追い付かずお断りすることもあります。ありがたいことですし、お断りするのは製造業的には、ほんとに辛いし悔しいんです。でも、受けたら迷惑をかけてしまうので断るしかありません」
注文があっても作ることができない理由は、単純に人が足りていないことが挙げられる。若い人が少ない輪島では、そんな問題を抱える会社が他にも多くあります。
そこで、四十沢さんが考えたのが、遠方からでもこの会社で働きたいと思ってくれるような人を増やせるように、これまでの輪島塗の漆器用の木地を大切にしつつ、自分たちのオリジナル商品を作り、商品を通じて会社を広く知ってもらえる新たな方向性の模索を始めます。
最初に作ったオリジナル商品は、輪島の伝統産業でもあり、長年素地を作ってきた漆器でした。
しかし、畑違いの漆器を自分たちで作るのはとても大変で、数年で断念してしまう。そこで、木地屋としてのノウハウを最大限に生かした、オリジナルの木製品の製造販売を2013年より始め、これが大きな反響を呼びます。
「木地屋をやりながら、漆器を何年か前に自分たちで作ったことがあるんです。それを仲間たちと東京の三越でグループ展をやりました。ただ、やっぱり漆器まで作るのはすごい大変でやめました」
「そんな時に、七尾市にある小さなギャラリーのイベントにお誘いいただき、木そのものに蜜蝋を塗った輪花皿を出したら、県内のネットショップの方が、取り扱わせてほしいと言ってくださいました。すると、どんどん売ってくださるようになり、それを見て色んな方がSNSにアップしてくれて、全国のショップさんから依頼が増えていきました」
評判になったオリジナル製品は、意外にも漆を塗っていない器。
長年、漆器の木地を作っていた木地屋としては、抵抗や違和感はなかったのでしょうか?
「ありません。最初は、吹き漆という形や輪島塗も作ったりしましたが、吹き漆や輪島塗になると外注に出さないといけないですし、あまりしっくりきませんでした。それに、木地屋としてずっと漆器の下仕事をしてきましたが、輪島塗だと真っ黒や真っ赤になるので素地が見えなくなってしまいます。そこに少し悔しい想いがあったんです」
「そこで、ほんとに木そのものをやってみたいという気持ちに変化していき、オイルを塗って仕上げてみたら、みなさんの反応がすごくよかったんです。しかも、オイルなら自分のところで塗れますし、食用のクルミ油なので安全です」
こうして、できた木が本来持つ魅力を最大限に生かした器は、たくさんの方から共感をもらい、確かな手ごたえを感じます。
「この器を作ってみて、今まで漆器の素地を作ってきたベースに、日本の伝統的な形を取り入れつつ、今の生活に合う洗練されたものを作っていくのが、私たちの方向性だと思いました。量も中量生産がうちの強み。材料もたくさんありますし、機械と手仕事を両方うまく組み合わせて作るものづくりができます」
しかしその一方で、現場の人数が足りないことに加え、さらなる販路を拡大する営業力や、新しい商品を開発するデザイン力と企画力が追い付いていきません。
「私たちは、普段の仕事があってここを離れることができないし、オリジナル商品の開発スピードも遅いんです。じわじわと認知してもらえたのは、商品が一人で一生懸命営業して広めて行ってくれたからなんです。このままじゃだめだと思って、デザイナーさんに一回頼んでみたいなという想いがあって、デザイナーさん探しを始めたんです」
新しい商品の開発スピードをあげるために、デザイナーさんの力を借りると決めた四十沢さんたち。しかし、これまでデザイナーさんと組んで仕事をしたことがなかったので、良いデザイナーさんの基準が分からない。そこで、いろんなところへ話を聞きにいきました。
「ゼロからデザイナーさんを探すのは難しくて、仕組みもよく分からない。展示会に行って、いろんな方に直接聞いたりもしましたが、何カ月も悩み月日ばかりが過ぎていきました」
「結局、自分たちの力では良い人が分からず、見つけることができなかったので、ててて見本市を主催されている大治さんという方に、誰か良い人を紹介してもらおうと相談しに行ったところ、『ぼくでよければ』と言ってくださって、そこから手を組ませてもらってます」
こうして2019年に、ブランディングディレクターとして大治将典さんを加え、四十沢木材工芸の再ブランディングが始まります。
当初は、商品のデザインだけのつもりでしたが、会社全体のブランディングからロゴ、名刺といったコーポレートツールの作り直し、さらには器のデザインや品数、ディティールに至るまで、様々なことを変更していくことになります。
「うちの仕事のスタイルもがらりと変わるような変革ですごく悩みましたが、覚悟を決めてお願いしました。でも、最終的にすごくいい方と組めたのでよかったです。よくファミリーだと仰ってくれますけど、そういう気持ちでしてらっしゃるのがすごい分かるし、私たちもそれに答えないといけないという気持ちになりました」
会社が変わっていくことに対して、従業員のみなさんに戸惑いはなかったですか?
「ててて見本市に出展するにあたり、大慌てで商品を作っていた時も一生懸命間に合うよう応えてくれて、楽しんでくれてるのが伝わってきました。変化していくのは、体力もいるし辛いんですけど、ある一時期にかなりの負荷をかけてやらないと、この先続けてはいけません。そこで一生懸命苦しめばあとはどうにかなるし、またどこかで頑張る時期を設けていけばいいのかなと思います」
こうして、会社が大きく変わり始めたのは、実はつい最近のこと。
しかし、直近で入ってくれた若い方は、リニューアルしたウェブサイトの写真を見て、入社を決めたといい、若い方への発信は少しずつ実を結び始めている。
「私たちの仕事は、人が生命線です。だから、人材をただ募集するだけでは集まらない今の時代には、もっと自分たちを売り込んで露出しないといけないという気持ちもあって、そのためにはデザイナーさんの力を借りる必要があると感じています」
今は、四十沢さんご夫婦が先導に立って会社を変えようと新しいことを始めています。ですが、これから先は、従業員の方にもものを作る以外のことにどんどん参加していってほしいといいます。
「今は、あれもこれも二人でやってるので、入ってくる人が何が得意かで、いろんなことをやってみてもらいたいです。だから、まずは企画展などにも一緒に行き、こんな風に物が売れていることを少しずつ勉強してもらいたいですし、納期に追われて振り回されるだけじゃなくて、何か楽しいことを我々としても作っていってあげる必要があります」
素材を活かしたオリジナル製品は、どうしてもメンテナンスに手間がかかります。
気兼ねなく使えるものではなく、日々のお手入れが欠かせないからこそ、手間を厭わない方にこそ使ってもらいたいというのが、四十沢さんたちの想いだ。
「プラスチックやウレタン塗装したものに比べ、お手入れが必要だったり、ちょっと気をつかわないといけないので、大切に使ってくださる方にうちのものは売りたいし、分かってくださる方でないと、傷がついたりガサガサになったとクレームにもなります。そこは難しいところでもありますが、素材を楽しむためには、やっぱり手間がかかります」
「でも、メンテナンスができますし、傷がついたり汚れたりしても味わいというとよくある言葉にはなりますが、馴染んでいくのでそれを楽しんでもらいたいです」
四十沢さんたちは、自分たちの商品を「大体うちの商品は引き立て役なんですよ。よく見たらお盆にも値札が付いていたんだと言われることも良くあります」と笑って話す。
その言葉通り、商品は主張しすぎていない。そっと生活に寄り添ってくれるような商品です。
でも、木でできた製品が生活の中に一つでもあるだけで、暮らしが豊かになったり、気持ちが健やかに変わることもあります。
「私たちが、なぜ木製品を作っているかと言うと、たまたま木地屋を継いだだけなのもありますが、掘り下げていくとやっぱり木があることの心地良さに行きつきます。木は、他の素材にはないなんとも言えない心地良さがあって、それを感じ取ってもらいたい。みんなの生活の中に、少しでも取り入れてもらえたら嬉しいです」
「そして、普段の生活の中に木のものが増えていくことで、気持ちも安らかになりギスギスしたことがなくなったらいいなと思います。だから、ぼくらは木に囲まれた環境で仕事ができるので、恵まれた環境なのかなって思います」
お二人は、一度輪島を離れていましたが、そのまま都会に残りたいと思わなかったのでしょうか?
「東京にいた頃も、やっぱり住むなら輪島がいいなと思っていました。でも、こっちには大学がないので、ここの子は進学するなら否が応でも出なきゃいけません。そして、そのまま向こうで就職するのが自然ですよね。だから、ここの子たちは18歳まで」
「でも、そうは言ってもやりたい仕事がないのも事実なので、ぼくらがやっぱり帰ってきたくなるような魅力的な仕事を作っていかないといけないのかなと思います」
地方にも、たくさん仕事はある。
ただ、若い人が働きたいと思うかどうかは、地元で働いている人たちの意識次第、取り組み次第で変わってくるのかもしれない。
都会だからとか地方だからという場所は関係なく、この会社で働きたいと思ってもらうことがこの先会社を存続させていくには不可欠なことなのかもしれません。
四十沢さんたちは、そのために次なる一歩を着実に踏み出しています。
企業名 | 四十沢木材工芸 |
---|---|
住所 | 石川県輪島市堀町3-8-1 |
URL | https://www.aizawa-wood.jp/ |
商品購入 | 四十沢木材工芸の商品は、のしごとが運営するお店「伝所鳩」でご購入いただけます |
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・自らが変わることで地域を変える(四十沢木材工芸)
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