のしごとのトップ / ふるさとの味 (谷川醸造のしごと)
まいもん。
能登弁でうまいもののことを言います。
石川県・能登のまいもんと自然とともにある暮らしを伝えるために、3つの生産者さんと、地域と外を繋ぐ1つの施設を訪れました。
地域には、その土地特有の味があります。
この『地域の味』というのは、どうやってできていくのでしょう。
それは、多くの場合に子供の頃の食生活が関係します。
子供の頃に食べたものや味というのは、舌が覚えていていくつになっても忘れないもの。この味は子供へ、さらにその子供へと途絶えることなく、受け継がれていきます。
石川県・能登には、『サクラ醤油』という名前で地元の方々に愛されるお醤油があります。
この地域で暮らす方にとって、欠かすことのできないお醤油を長年作り続けている『谷川醸造株式会社』は、1918年(大正7年)から醤油や味噌作りを開始し、100年以上この地で醤油を作る老舗ですが、創業は1904年(明治38年)。酒作りが主な業態として始まっています。
1995年に、もろみづくりから行う一から仕込む醤油の製造をやめ、さらに2003年には清酒部門の売上が悪化し、経営が立ち行かなくなってしまう厳しい状況となり、お酒の製造もやめることになります。その後、醤油と味噌の製造販売は残しつつも、全体的な規模は縮小をしていきます。
しかし、4代目である谷川貴昭さんが、小さな醤油屋だからこそできる原材料にこだわり、木桶で仕込む醤油作りを2011年に再開させました。
時代と共に変化を続けてきた、谷川醸造を訪れました。
能登空港から車のナビを頼りに30分ほど走ると、市街地に入り大きなスーパーが見えてきます。
ナビは、このスーパーの中を示しているが、どこにも醤油を作っていそうな建物は見えない。ひとまず駐車場に入り奥へと進んでみると、スーパーの裏手の敷地内に味わい深い建物が現れます。
「分かりにくかったでしょ。みなさん迷われるんですよ」と、にこやかに出迎えてくれたのは、谷川醸造の谷川貴昭さん。
「以前は、スーパーさんがある場所もお酒関係の工場や事務所など関連した場所でしたが、お酒工場の方を一度更地にして、醤油蔵の隣に新たに事務所兼倉庫を建てました」
今は、手前側に事務所と倉庫。さらに、醤油蔵がその奥に続いています。
谷川さんは、老舗の蔵元というイメージよりもずっと若いが、4代目として就任したのは2014年のこと。37歳の頃だったそうです。もともと家業を継ぐことには前向きではなく、進学とともに一度はこの地を離れていましたが、17年前に能登へ戻ることに。
「大学進学で能登を出ていて、就職活動の時期も特にしたいこともなく、ふらふらとしていました。戻ってきたのは、男三人兄弟の長男で、誰も実家の家業にあまり前向きでなかったので、帰らざるを得ないかなという理由からでした」
能登に帰ることを決めた谷川さんは、兵庫県のたつの市にある醤油屋に修行へ行くことにしました。しかし、先代社長であるお父さんが体を壊したのをきっかけに、2年ほどで戻り家業を手伝うことになります。
その当時、谷川醸造の事業のメインは酒造。最初は、日本酒の製造を任されたそうです。
「この会社は、もともとはお酒の製造から始まり、大正時代から醤油や味噌を始めたり、キリンビールの卸しや焼酎を作ったりと、いろんなことを父の代まではしていました」
谷川醸造は、もともと酒と醤油のどちらも作る会社でした。
しかし、1995年に工場長が他界されたのをきっかけに、一から醤油を自分たちで仕込むのをやめ、さらに清酒部門の売上が悪化しこのままの状態では経営が立ち行かなくなってしまうことから、谷川さんがこの会社に戻ってきた二年後には、メインの事業であった酒造もやめる大きな決断をします。
「帰ってきた当時は、酒造がまだメインの事業で、最初はお酒の製造を任され一生懸命やってたんです。一年目は、分からないなりにやって、少しずつ分かってきてこれから頑張ろうってところで、続けられなくなりお酒の製造と販売をやめました」
「売上の3〜4割はビールの卸しでしたが、今は1割もないくらいまで減らし、結果として父から代替りした時には、醤油と味噌だけが残り今の形になりました。その中で、今後どうしていけばいいかを考えいろんな取り組みを始め、外へも少しずつ商品を出すように変えていきました」
醤油や味噌は、その土地ごとに根付いた味があり、外に出た方でも生まれ育ったふるさとの味が忘れられない、という方も多いのではないでしょうか。
能登のお醤油は、お刺身などにもとても良く合う甘口。この味こそが、この地域で長年親しまれる味です。
「醤油や味噌は、地域性の強い食品で、基本的にその土地ごとにみなさんの生まれ育った慣れ親しんだ味があります。醤油屋さんや味噌屋さんは、小さな蔵が多いんですけど、蔵のある地域を中心に経営していて、うちも能登地域を中心に醤油や味噌を作ってきています」
「だから、その土地の食材に合うとか、その土地に住む方の好みの味付けであったりしますし、親が食べていた味をそのまま子供に食べさせるといったことが、脈々と受け継がれてきていて、それはなかなか途切れないことなんです」
谷川醸造のサクラ醤油は、能登地域以外で見かけることはあまりありませんが、この地域の方にとってはあって当たり前のもの。生まれた時からこの醤油を使っているという方も多い。
それでは、一度は醤油の仕込みをやめたにも関わらず、谷川醸造の醤油がこの地の味として浸透し続けているのはなぜでしょう。
実は、多くの醤油屋さんは、最初から最後まで全ての工程を自分たちだけでは作っていません。ほかで仕込まれた醤油を買い、それを自社で調合して作っているところが多いそう。
谷川醸造も、一から仕込む醤油づくりをやめたものの、他社と同じように調合して作る醤油は途切れることなく続けてきたおかげで、いつしかこの味が地域の味へと繋がっていきました。
しかし、酒造をやめた自分たちの強みはなんだろうか、小さな会社だからこそできることを考えた時に思いついたのが、地元で愛されるようになったサクラ醤油も大切にしながら、無添加の醤油をもう一度、自分たちで一から作ることでした。
醤油を一から仕込むには、大豆を蒸し、小麦を炒ることで、糀を作ります。そこに、塩水を加えもろみを作り、熟成させることで、ようやく醤油となります。文章にしてしまうと簡単ですが、実際の作業は、手間、時間、経験が必要とされる大変な作業です。
「醤油を作る時にもろみを作る工程があって、昔はもろみを作ってたんです。もろみづくりは、お金や手間暇がかかることなので、作りたい想いがあってもなかなかできなかったんです」
「でも、今後事業を続けていくときに、もろみづくりを中心に据え、醤油屋としての柱にしようと、酒造を辞めてから5年後くらいに醤油作りを再開しました」
利益や効率ではなく、敢えて手間がかかっても自分たちが自信を持って提供できる手段を選びました。
「ちゃんと醤油を作ることで、地域に慣れ親しんでいるお醤油とは別で、少しずつ育てていきたいと思って始めた取り組みなんです。それが少しずつ派生していったことで、今なんとか続けられている部分もあります」
素材や作り方にこだわった醤油や味噌は、外の地域の人にも少しずつ広まり、この会社の新しい柱へと育っていきます。
「ひとつずつ順を追いながらきちんとやってたわけじゃなく、とにかく必死でがむしゃらな時期でした。メインのお酒を辞めることは、このまま続けていたらもうだめだというくらい会社の状態が悪かったんです」
「でも、少しでも売れるものや続けていく方法を考えながら、ひとつずつやっていたらいつの間にか商品がいっぱい増えていて、外の地域にも置いてもらるようになっていました。社内の作業体制を整えたり場所を慌てて作ったりしながらの繰り返しなんです」
2011年から醤油の仕込みを再開させたことで、特にこだわったのは素材。能登産の大浜大豆や珠洲の塩など顔の見える地元の素材にこだわり、無添加で安全で安心なものを選んで醤油や味噌を作りました。
これらの商品は、地元で親しまれたサクラ醤油とは差別化するため、今までの谷川醸造のイメージとは違う、雑貨屋さんに置いても違和感のないおしゃれで可愛らしいパッケージで売り出し、積極的に外の地域でアピールをしていきました。
「ありがたいことに良いお店ばかりに置いていただき、それもよかったと思います。発信力のあるお店に入れていただくと、お客さんの目に触れる機会も増え、そこから問い合わせをいただいたり、展示会もその時期に出たことで広がった一因だと思っています」
「もともと酒屋をやってた中で、醤油をメインにせざるを得ないところがあったので、昔から醤油をずっと作り続けているところとはやっぱり違います。だから、販路にしても少しひねって意識して開拓したのもあります。ただ、今は似たような商材がたくさん同じような場所にあるので、これからどうしていくかは課題です」
輪島市内のスーパーには、大手の醤油メーカーと肩を並べてサクラ醤油が並ぶ一方、他の地域では、ライフスタイルショップや雑貨屋さんといったお店で、食品以外の商品と一緒に並ぶことも多い。
醤油や味噌の販売先としては珍しいお店が多いですが、取引するお店は厳選されているのでしょうか?
「ぜんぜん売れてない時から生意気にもしてました。たくさん量を売ってもらわないといけないというわけではなく、少なくてもちゃんと商品や会社のことを見てもらった上で、売りたいと言ってもらえるお店さんとは喜んで取引させてもらっています」
「ただ売れればいいという考えのところは、やっぱり長く続きません。今扱ってもらってるお店さんのことも考えたら、価値を下げるような売り方はなるべくしたくないので、そこは大事にしてます」
今後も、取扱店は増えていくのでしょうか。
「もろみを作る、味噌をちゃんと仕込むといった手のかかることを大事に軸にしていきたいですし、10人ほどの小さな会社なのでどうしても製造量に限界があります。委託で商品をどんどん作ることもしたくないので、あまり増やせないですし、そこまで大きくしたいとも思っていません」
谷川さんが代表になって6年。
がむしゃらに突き進んできたそうですが、地域のものを活用させてもらい、そして地域に支えられてきたからこそ、今の谷川醸造がある。これからは、もっと地域に貢献していきたいと話します。
「地域のことをより意識したいという想いは、前より強くなっています。年齢を重ねてきたこともありますし、自分たちのやってることや作ってるものを考えた時に、この土地でずっと続けさせていただいてることへの感謝と、これからもこの場所で続けていくために、地域に対してぼくらができることがあるなら頑張ってやっていきたいと思っています」
「例えば、外から観光で来られた方に、朝市や千枚田といった観光地だけじゃなくて、酒蔵や醤油蔵のような立ち寄れる場所としての受け入れといった形で、地域への貢献ができればいいなと考えています」
地域に親しまれた味を、長年変わることなく作り続けることは、容易なことではありません。
そんな地域で育てられた味を、これからも大事に作り続けていけるように、谷川醸造の挑戦は続いています。
企業名 | 谷川醸造株式会社 |
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住所 | 石川県輪島市釜屋谷町2-1-1 |
URL | https://tanigawa-jozo.com/ |
商品購入 | 谷川醸造の商品は、のしごとが運営するお店「伝所鳩」でご購入いただけます |
・残したい風景がある(里山まるごとホテル)
・発酵文化を守る(舳倉屋)
・自らが変わることで地域を変える(四十沢木材工芸)
・ふるさとの味(谷川醸造)