のしごとのトップ / 発酵文化を守る (舳倉屋のしごと)
まいもん。
能登弁でうまいもののことを言います。
石川県・能登のまいもんと自然とともにある暮らしを伝えるために、3つの生産者さんと、地域と外を繋ぐ1つの施設を訪れました。
北陸地方から日本海へと突き出した能登半島。
周りを海に囲まれたこの地域は、昔から漁業や水産業で栄えてきた。
今でこそ、飛行機で一時間ほどと近くなった能登ですが、飛行機がなければ同じ県内の金沢からでも車で2時間、東京からだと約8時間。2001年には、輪島までの七尾線が廃止となり、2005年には蛸島までの能登線が廃止。
今では、電車で訪れるということは難しく、車や飛行機がなければアクセス自体が難しいエリアだ。
そんな厳しい環境だからこそ発達してきた技術があります。それは『発酵』。塩や冷蔵庫が今ほどなかった時代に、長期保存をするための発酵技術が、このあたりには文化として根強く残っています。
発酵食品の一つとして奥能登に江戸時代から伝わるのが、日本三大魚醤の一つでもある『いしる(いしり)』である。
輪島市内から日本海の海岸沿いをナビを頼りに車で走っていく。
海岸沿いの道を少し山を登っていくような形で進むと、通り過ぎてしまいそうな小さな脇道が見えてくる。そこから海にそのまま飛び込んでしまうかのような急な坂を下ると、美しい海の景色が見える切り開かれた場所に、たくさんのタンクが置かれています。
ここは、水産加工品の製造・販売を行う『舳倉屋(へぐらや)』のいしるを静かに発酵させている場所だ。
建物もなければ屋根すらもない。吹きっ晒しでポツンとタンクだけが置いてあるだけだ。一見すると使われていないタンクのようにも見えるが、この環境こそが美味しいいしるを作る上で、欠かすことができない。
タンクの前で待っていてくれたのは、舳倉屋の岩崎さんだ。
いしるは、イカ・サバ・イワシの3種類が主な原料となる。
能登の中でも外側は、日本海側に面しており、イワシやサバが盛んに獲れる。一方で、反対の内側にいくとイカが多い。同じ能登でも外側と内側では魚の種類が異なり、この地域の魚醤だけでもそれぞれ特徴があるそうだ。
早速、伝統的ないしるの作り方を教えてもらおうとお話を伺ってみると、「いかの内蔵と塩を入れた後は、何もしないんです。ほっとくだけです」という答えが返ってきた。
そう、岩崎さんが作るいしるの作り方は、至ってシンプル。ほっておくだけ。
「工場でイカの内臓が出るので、それをタンクに溜めいっぱいになりボルトを締めた後は、混ぜたり動かしたりもしません。一年半、この自然環境の中で過ごすといしるになっています。それまでは、一切蓋は開けず何もしません。だから、みなさんここに来られると作り方も環境も思ってたのと違うと、びっくりされますよ」
この作り方は、岩崎さんのおばあさんの時代からほとんど変わっていないそうだ。
仕込んだ後は、自然に委ね一切手を触れることなく熟成し発酵させる。唯一やることと言えば、タンクの横に付いたコックを時期ごとにひねり、中身を少し出して発酵具合を確認することだけ。
発酵具合の見極めは、岩崎さんのお父さんである会長が管理する。
「他社さんは、倉庫で作られていて我々も以前はそうでした。倉庫だと雨風も防げるし、室温を一定にすることができます。でも、熟成に2~3年かかっていたのが、寒暖差のある外に置くことによって1年でいしるができるようになり、時間の短縮にもなりましたし、倉庫で作っていた時よりも品質が良くなりました」
「だから、美味しいいしるを作るには、とにかくこの環境が大切です。目の前の日本海からの浜風を受け、冬になれば雪に覆われる。年間通じて40度近い寒暖差があるので、能登の地形や風土が一つの工場なんです。工場のような囲いはないですけど、いしるを熟成発酵させてくれる環境は全て周りにあり、自然が全て作り手ですね」
ここにあるタンクは、一本あたり約2トン半。全部でおよそ20本あり、毎年40~50トンのいしるがここで作られています。
「原材料は、いかの内蔵と塩だけです。加工品の売り上げが順調で、毎日いかの内蔵が工場から出てくるので、タンクが20本あっても追いつかないほどでしたが、ここ2〜3年はイカの価格が高騰していて、なかなか以前のように買うこともできなくなっています」
ほったらかしで作るいしる。長年の経験があるとは言え、何もせず毎年しっかりいしるができるというのはすごい。
最近では、異常気象などで急激な気温変化もありますが、失敗してしまうことはないのでしょうか?
「近年、暖かいですよね。意外かもしれませんが、気温が高い年は、発酵が進みやすいのでいいものができます。一番の大敵は、水なんです。水がタンクの隙間などから入ってしまうと腐敗してだめになってしまうので、そこは徹底した管理の中で毎日見るようにしています。ただ、よっぽどの水害がない限りは、一年半すれば基本的にはいしるができます」
ほったらかしの中で、一つだけこの会社が他とは違うノウハウがあるとしたら、塩加減だ。
「工場でイカの内臓が出る時期や産地によって、塩の塩梅を調整して工場で完全にブレンドしたものをタンクに持ってきて投入しています。塩加減を調整するのは、今までの長い歴史の中でのノウハウなので、ここは他とは違うところかもしれません」
いしるのタンクが置かれた場所から、車で5分ほど海岸沿いの道を行くと、舳倉屋の本社工場が見えてきます。
舳倉屋の創業は、1989年。水産加工品の製造・販売を行うところから始まっており、今でもメインの事業はいしるの製造ではなく、この加工品の製造です。
加工品を作る中で、どうしても魚の内蔵など廃棄する部分が出てしまうため、それらを活かす形で、副産物的にいしるは作られるようになったそうです。
輪島朝市
ローソンで売られている「がんこ漁師の焼きいか」
輪島市には、日本三大朝市の一つでもあり、観光地としての人気の高い『輪島朝市』があります。約360mの商店街で毎朝200以上の露店が並び、新鮮な輪島の魚などを中心に買い物ができるとあって、観光できた方はもちろん地元の方も足を運ぶ。
舳倉屋も、もともとはこの朝市に出店していたお店だったそうで、一夜干しを楽しみに買ってくれるお客さんがたくさんいて、そういう方のために朝市以外でも買えるようにしようと考えた会長が、全国の問屋さんへと営業へ出て行き、その結果、今では全国のコンビニに商品を卸すまでになりました。
コンビニで取り扱われている商品には、表にはいしるの文字、裏面には舳倉屋の名前がしっかりと入っています。見たことがある方も多いのではないでしょうか。これらの商品はこの工場で製造され、毎日全国のお店へと配送されたものです。
「加工工場では、塩辛などを作っていて、マルエツさんやイオンさん、あとはローソンさんにうちの商品が行っています。ただ、輪島にはローソンはないんですけどね(笑)」
岩崎さんは、高校卒業後、金沢の中央市場に18歳から勤め、25歳の時に実家へ戻り家業を手伝い始め、これまで一貫して水産業に関わってきた。
工場で出来上がった商品は、全国へと出荷されるため、トラックで次々と配送されていく。しかし、輸送費を抑えるために、月に1回ほどのペースで商品をトラックに詰め、岩崎さん自ら関東の方まで配送に回っているというから驚きだ。
「この取材の後も、埼玉の川越の方まで車で8時間かけて行くんです。3日前も行ってきたところで。まあ、運転が好きってのもありますけど、経費節減で浮いた分で従業員に給料をちょっと多く払えるようにしたいなと」
一方で、奥さんの律子さんは、山口県の出身で能登に嫁いできた。
「ぜんぜんいしるの文化がなかったので、最初は驚きました。なんなんやろこれは?って(笑)でも、いしるは調味料でうま味の塊。上手に使ってもらえたらほんとに使い勝手がいいと思います」
「このあたりは、魚が取れるので九州と一緒で醤油が甘い地域です。全国的に、魚醤油を作っているところが昔と比べると増えていて、北海道だとホッケや鮭で作るものも増えてますし、秋田はハタハタのしょっつる。しょっつる鍋は有名ですが、いしるにもいしる鍋があるんですよ」
いしるのにおいは、ツンとした独特の臭みがあり、好き嫌いが分かれる。ただ、においが強い分、それだけうま味が凝縮されている証拠。料理にうまく使うことで最高の調味料へと変化します。
「いしるは、いわゆる一般的な味の素なんです。塩とイカの内蔵だけなので、無添加なのにうまみ成分が凝縮されています」
「ナンプラーと同じような感じで、隠し味として最後の仕上げで小さじスプーンで少し入れてもらうだけで旨味がぐっと増します。実際、輪島でもそういった用途で使われているので、カレーの隠し味で入れたりとか、キムチなどの漬物にもおすすめです」
確かに、輪島市内の飲食店の多くがいしるを使ったメニューを提供しているし、朝市でもいしるを販売するお店が多くあった。他の地域の人にはあまり馴染みのないいしるは、能登の人たちにとって日常に欠かせない調味料の一つなのだろう。
いしるの味は、昔から変わらないのでしょうか?
「塩っ辛いものなので、細かく成分を分析したら変わっているかもしれませんが、我々が舐めて感じる味は変わっていません。ただ、工場で作ってた時よりも、この環境にして作った今の方がほんとに美味しくなったのはぼくらも感じていて、今はこの品質のものがずっと作れてると思います」
「同じ味が作れるのは、いしるをタンクから全部出し終わった後、味噌や醤油と同じで桶を綺麗に洗ったりしないからなんです。そこには菌がいて、それがまた新たに入ってきたものを発酵させてくれるので、必然的に味は変わらないんです。一回出してるので、継ぎ足しではないですが、それに近い感じですよね」
能登にとっては当たり前のいしるも、外に出ると使い方さえ分からない方も多い。だからこそ、正しく伝えることがいしる文化を残していくことに繋がると、岩崎さんは言います。
「会社としては本業自体が加工品なので、当然そういうものは頑張って継続して、能登をいろんなところに売っていきたいです。その傍ら、いしるは仕事というより、能登のなくてはならない一つの文化なので、当然残していかないといけないと思っています」
「ただ、せっかく良いものでも、外に出ると都会の人は使い方が分からないので、使い方を分かってもらって使いやすくしてもらうためには、どう発信するかですよね。一般家庭の調味料の中にいしるが品揃えとしてある、それくらいの普及を目指したいなと思います」
いしるのタンクがある脇には、海が見える絶景のスポットがある。
岩崎さんご夫婦は、ここにテーブルと椅子を設置し、初めて来た我々を招き入れ、いしるを使った料理を振る舞ってくれました。
今回の能登の取材の中では、こうした暖かい気遣いをたくさん受けましたが、こうした振る舞いもいしると同じように、一つの能登の文化のように感じました。
企業名 | 有限会社 舳倉屋 |
---|---|
住所 | 石川県輪島市稲舟町482 |
URL | https://heguraya-wajima.shop-pro.jp/ |
商品購入 | 舳倉屋の商品は、のしごとが運営するお店「伝所鳩」でご購入いただけます |
・残したい風景がある(里山まるごとホテル)
・発酵文化を守る
・自らが変わることで地域を変える(四十沢木材工芸)
・ふるさとの味(谷川醸造)