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若手が活躍するためにできること

宮田織物「のしごと」

宮田織物は、1913年に久留米絣の工房として福岡県筑後市で創業。昭和40年に『わた入れはんてん』の生産を開始すると、最盛期には年間で50万枚もの生産量がありました。他社の追従を許さない高品質なはんてん、独自の生地を使った婦人服ブランドの展開ができるのは、糸選びから、織り、デザイン、そして縫製や販売までを自社生産するこだわったものづくりがあってこそ。時代とともに変化し、進化を続ける織物メーカーです。

宮田織物

「会社的にはファミリー的なところもあるので、たぶん居心地がいいんじゃないかな。反面そこに厳しさがないので一長一短だけど、働きやすいと思います。それは感じます。自分もそうだし」

宮田織物の他社にはない魅力の一つが、自社一貫生産しているメーカーだということ。工場は糸の織りから裁断、縫製、仕上げ、出荷までを行うため、工場にはいくつもの部署があり、たくさんの人が働いています。

そんな宮田織物のものづくりを支える工場の全体を管理している、清水工場長にお話を伺います。

一貫生産体制の自社工場を支える

宮田織物

清水工場長のデスクがあるのは、工場の2階の縫製や裁断を行っているフロア。しかし、工場全体を管理するはもちろん、ときには営業といった部署の垣根を超えてやりとりすることも多く、取材中も様々な場所でそんなやりとりをする姿を見かけました。

清水工場長が宮田織物にやってきたのは、今から13年前。

もともと縫製の仕事を大阪でしていて、同じ業界であった実家の家業を手伝うために実家へ戻られました。しかし、時代の流れとともに請負の縫製だけでは厳しくなり、工場閉鎖のタイミングで宮田織物からの誘いもあり、家族とともに福岡へと移住しました。

「山口の方で親父が起業してて、軽い気持ちで結婚と同時にぼくも帰って13年くらい親父とやってたんです。でも、請け負って作って納めるだけ、ましてや縫製だけで飯を食うのは到底難しい時代で、廃業するかという話だったんですが、親父から引き継いで4年くらい続けましたが、やっぱりやっていけんなって」

「そんな時に、2年ほど付き合いのあった宮田さんの方でたまたま人が欲しいとお誘いを受けたこともあって、このままずるずるやっても従業員に迷惑をかけるし、家族の反対もなかったので行ってみるかと」

宮田織物

宮田織物で働くため、山口県から福岡県へ移住したのは、同じ業界とは言え47歳の時だったので、勇気のいる決断です。

「自営ってどうしても従業員抱えてたらそっちが優先されるし、家族にも迷惑かけたりもしてたので、雇われる身になれば収入は減るにしても安定性が出ます。あとはそこで俺がどれだけのことをしていけるかだと思うんです」

「家族の反対もないどころか、違う空気を吸おうと協力的だったので、いっそのこといいかなって。ぼくはもう小さい頃から東に東に行きたかったんですけど、どんどん西にきてしまったけど、今思えば別に後悔はしてないので、それはそれでよかったかなって」

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製造のポジションとして誘われた清水工場長ですが、長年の経験を活かして、徐々に製造ではなく工場全体を管理したり、部署間の中間を担う役割へと移っていきます。

「製造の経験がある人間が欲しいってことで入りましたが、製造にいたのは三カ月くらい。うちは企画し、生地製造から販売までやるメーカーで、流れやシステムをきっちりしないといけないので、入口と出どころをきっちり抑えようということで営業に移りました。営業と生産のちょうど中間のコントロール役として生産背景を組んだり、社内営業みたいな部分を請け持つ仕事を八年くらいしました」

「その後、前任の工場長が高齢で退職されて、その後に何人かやってきたんですけど、うまく回らずそっちにも関わっていくうちに、いっそのこと全部見ようかって話から、三年前から今のポジションで現在に至るという感じです」

宮田織物

日本のものづくりは、外国人従業員によって支えられているところも多く、宮田織物もその一つ。清水工場長がいる縫製・裁断の二階フロアを、見渡すと大勢の外国人の方が働いていて、宮田織物のものづくりを支える、大切な力になっています。

「二年くらい前までは中国人でしたが、今はベトナムの子が16人います。また来月、来期の子の採用でベトナムに行くんですが、正直この生産場はもう彼女たちがいないと成り立ちません。数もこなせないので、実習制度がなくなったらたぶん製造現場はものづくりができません」

外国人の場合、コミュニケーションが難しいところも多い。しかし、日本人で働き手を探すのはもう難しい、なかなか定着しないということが現状としてあるそうです。

良いものを作れば売れる時代は終わった

宮田織物

企画して、生地を作り、販売する。やっていることは昔と変わらないが、大きく変わったことは、作っても売れないこと。昔は、良いものを作れば必ず売れていた。しかし、今はものが溢れ、作れば売れる時代ではなくなってしまい、常に売るための計画が必要です。しかし、それでも売れずに残ってしまうものも多いと言います。

「昔はいいものを作ればそれなりに売れたけど、今はいいものでもタイミングを逃せば売れないので、物量的にも当時の7割くらいしか生産していません。どんどんものが売れなくなってて、売り方も変わってきてます。それなりにものが動いた時代は、企画から販売までやるのは良いように言われてました。だけど、今はなかなか売れない時代なのでメーカーはめっちゃしんどいんです。それなりに経費はかかる仕事だし、サイクルもめちゃくちゃ早くなってるので、ある程度見込んで先に作っても今はそれも売れません」

「だから、どっちかというと製造より営業が肝心。どう物を売っていくのか。商品的に特殊で作ったから売れるものではないから、作る立場としてはもっとちゃんと計画立てろよとかそういうことを言うんだけど、それをするのが今はほんと難しい」

これからの若い人たちを後押ししたい

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ものが黙っていても売れた時代、宮田織物には営業はいませんでした。しかし、ものが売れない時代となり、営業や若い人たちが中心となり、取引先の開拓や新しい取り組みを積極的に行うようになりました。そんな動きに同調するかのように、製造現場で働くみなさんの意識も変わり、売れるために何をするべきかを考え行動するようになってきたそうです。

「今はただお店に並べたから売れるものじゃないでしょ。ルートを作り、催事をして、お客さんを呼び込んで自分たちで売らないといけない。そのへんはほんと営業はよく動いてるけど、そういうことってすぐに結びつかない。だけど、会社としたら結果を出さないといけないから、営業は大変だとつくづく感じるんです」

「でも、動くことが最終的には身になるし、こっちも協力をすることが一つの仕事。彼らがいざ売りたいと思ってもものがないとどうにもならないので、ほしい時に要望に沿うように揃えておく、そうやって応援しないと努力したことが繋がらないので。生産現場を主体で物事を考えればもっとロットくれよとか、そんなの効率が悪いって言い方するんだけど、作ってなんぼじゃなくて売れてなんぼ。とにかく売れないとこっちも飯食えないから、効率は二の次でまず売るためにどうしたらいいか。物がなくてそのタイミングを逃したがために売れなかったらこっちも責任感じるし、そんなにうまいことは行かないですが、でもそういう気持ちではやってます」

自分たちの良いところを出していく

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最後に、宮田織物の良いところは?

「真面目に一からオリジナルとして全部やってることは、他社にはできないと思います。もちろんやってはるところもあると思いますが、普通で考えたらできない。今はしんどい時期ですけど、自社でものづくりして販売するのは、そこが一番の強みで大きなメリットだと思います。ただ時代の背景もあるから、販売業だけなら物を仕入れて売るだけでいいけど、ものづくりは経費とか設備投資もあったり、先行で物事をやらないといけないから、ほんとに難しいですけどね」

「あとは営業的なことを若手がどういう道筋をつけてやってくれるか、ぼくらはもう去っていく人間なので、若手が今からどんどんやってくれればこういう業界の会社は少ないので、うちのいいところをどんどん出せば、まだまだやり方によっては生き残れるところは十分あると思います」

「それと会社的にはファミリー的なところもあるので、たぶん居心地がいいんじゃないかな。反面そこに厳しさがないので一長一短だけど、有給だとか勤務時間的に言えばきっちり会社の方針としてはやってもらってますから、働きやすいと思います。それは感じます。自分もそうだし」

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