のしごとのトップ / 何年経っても毎日が試行錯誤 (宮田織物のしごと)
宮田織物は、1913年に久留米絣の工房として福岡県筑後市で創業。昭和40年に『わた入れはんてん』の生産を開始すると、最盛期には年間で50万枚もの生産量がありました。他社の追従を許さない高品質なはんてん、独自の生地を使った婦人服ブランドの展開ができるのは、糸選びから、織り、デザイン、そして縫製や販売までを自社生産するこだわったものづくりがあってこそ。時代とともに変化し、進化を続ける織物メーカーです。
「みんなで一致団結するところですね。たとえ部署が違っても応援してくれて、問題があったら協力して助け合いながら取り組んでやっていきます」
宮田織物は、その名前からも分かるように織物メーカーです。生地の糸を選ぶところから始まり、先に染められた糸を使って織られた生地や、たて糸とよこ糸を織機と手作業を用いて、様々な交差によって立体感や表情豊かなテキスタイルを作っています。こうした生地を生み出しているのが、織布(しょくふ)と整経(せいけい)部門になります。
織布の中村主任にお話を伺いました。
中村さんは、宮田織物に入社してなんと33年。従業員の中では、最も長くここで働いています。入社のきっかけは、親戚のおばさんがここで働いていて誘われたことだったそうですが、本人もまさかここまで長く働くことになるとは、夢にも思っていなかったと当時を振り返ります。
織布と整経には、現在9名の方が働いています。中村さんが入社した頃は14名の方がいましたが、それでもはんてんともんぺが最盛期の時代は、24時間交代制で100時間以上の残業を強いられるような状況があったそうです。
「入社した頃は、あぜ取りと言って、糸の並び替えの勉強を一週間、それから畳みを一週間、そして織りを一週間。一つ覚えたらすぐ次に入れって感じで、とりあえず中に入って覚えるみたいな形を十数年やって、前工場長と班長が退職されてからは、自分一人で全部見るようになりました」
「整経と織布の工程ごとの責任を持たされました。覚えるのも担当者が退職されていないし、一週間しか教えてもらってなかったんです。機械のメンテナンスもぜんぜん研修してないので、取り扱い説明書を見ながら、独自にばらして組み立てて覚えていきました」
機械の調整まで独学とは驚きです。そのため、入社当時は苦労の連続だったそうです。
「苦労三昧でしたね。上からお叱りも受けながら、でもやりながら試していかんと、どういった形で取り入れていくか分からなかったので、失敗を恐れてもいけないし、それも勉強と思って今現在もやってます」
「だから、機械もばらして組み立てを繰り返して覚えて、それを次の方に教えています。と言っても独学なので、ちゃんとした細かい設定は分からなくて、教えようがないんです。それに部品がない機械も多いので、何台かパーツ取りのために持ってるものもあるので、それで今は回ってる状態です」
織布の工場へ入ると、他の工場に比べ少し湿度が高くじめっとしています。これは、糸が切れないように湿度を調整しているためで、夏場は30度になる厳しい環境です。
「中は湿度を70~80%に保たないと、糸がこすれて毛羽立ち糸切れが発生するんです。梅雨は湿度が増えて水分を吸い込み毛羽立たないのでよく回りますが、夏場はエアコンで乾燥したり、静電気でよく切れます。だから水を流してファンを回すことで常に湿度を保っているので、エアコンを入れたくないんですけど、入れないといられないくらいです」
「ただ、生地によって速度を落としたり、機械の特徴や柄の特徴も活かしてやるようになり、糸が切れずうまく回るようになったので、品質的にはどんどん良くなってきてると思います」
たくさんの苦労と失敗を重ね、会長からは怒鳴られることも多かったそう。でも、諦めることなくこれだけ長く続けることができ、今では誰にも負けない技術と経験、そしてノウハウを蓄積してれたのは、この仕事がやっぱり好きという気持ちがあったに違いありません。
「上の立場に自分もなってみて、やっぱり若い人には長く勤めてもらうことが一番です。自分もこんなに長く務まるっちゃ思わなかったし、辞めたいって気持ちも結構ありましたけどね。でもこの仕事が好きな部分もあるからそういった気持ちがあっても辞めなかったんだと思います」
「それに綺麗に織れて、市場に回ってお客様の手に渡ればやっぱりうれしいです。それを求めてみんなも頑張ってると思います」
誰よりも長くここで働き、たくさんの経験を積んできましたが、それでも毎日は試行錯誤の連続だと中村さんは言います。ものづくりに終わりはない、日々商品が進化しているのは、現場の方々の努力があってこそだと感じます。
「会長は、品質に関しては特に厳しい方で、今でも要求されることはあります。こうやりなさいとか、風合いが悪いのは考えろということも言われるので、まだまだ期待に沿えられていません。だから、これからも勉強です」
「33年やってますがまだまだ未知数で、ほとんどが試行錯誤。毎年同じことはやってないです。毎年いいことを取り入れて、常にできないって言葉は言わないようにして、とりあえず取り組んでやってみる。それでできないなら考える。できない部分はどんどん勉強していけば財産になりますからね」
宮田織物では、若い方が近年増えていますが、技術はどのように伝えていくのでしょうか?
「自分がいっぱいいっぱいで、なかなか人を育てるまでいかなかったんです。でも、最近ようやくみんなも自主的に動いてもらってるので助かってますね。それに覚えてもらわないと先が続かないので、うまく回るように段取りをして、品質が上がることを重視してやっていけばいいなと思っています」
「自分の感覚でやってる部分も多くて、教える立場になったら簡単に教えられないんです。ただ、一年目の方なら一年目の同じ目線、同じレベルに合わせて教えていくという形を取らないと伝わらないので、今はそういう意識で教えています」
大量生産していた頃に比べると生産の仕方も大きく変わりました。同じものをたくさん作っていた時代から、企画室で考えられたこだわりの強い宮田織物らしい生地ができ、様々な要望や相談が増えたことで、以前よりも活発にコミュニケーションを取る機会も多くなってきたそうです。
「入社当時は、大量生産で傷ができてもどんどん織ってたんです。でも、今は企画からこれはできますか?とか、どうやって織られますか、こういう風合いはどうですか?って相談を受けることが増えました。うちは一貫生産で直接お客様の元へ届くので、ただ織ればいいやって形ではだめなので、アドバイスや協力できるところは協力してより良いものを作っていきたいと思っています」
最後に、宮田織物のいいところってどんなところですか?
「やっぱりみんなで一致団結するところですね。たとえ部署が違っても応援してくれて、問題があったら協力して助け合いながら取り組んでやっていきます。今は、若い方が入りイメージも若返って、いい雰囲気だと思います。すごく良くいられるので」
宮田織物のしごと展
日時:2019年1月19日(土)~31日(木)
会場:東向島珈琲店(東京都墨田区東向島1-34-7)
・創業106年の老舗織物メーカー 宮田織物
・久留米絣の織元から一貫生産へ
・この会社もこの仕事も好き
・若手が活躍するためにできること
・何をやるかではなく誰とやるか
・何年経っても毎日が試行錯誤
・自分が着たいと思う服を作る
・作るのも着るのも気持ちの良い服
・オリジナルはんてんが完成